さて、エリコの町は、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がありませんでした。主がヨシュアに語られました。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」それから、不思議な攻略の方法を告げられました。それはいまだかつて、歴史上、例を見ない方法でした。その方法とは、イスラエルの戦士たちすべてが、エリコの城壁のある町の周囲を、毎日、一度、廻ること、それを6日間つづけることでした。契約の箱を中心に、その前に、七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って歩むのです。その前後を、イスラエルの戦士たちが囲むようにして行進するのです。そして、7日目には、7回、町の周囲をまわり、祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、民たちがみなで、ときの声をあげるようにという方法でした。7日目に、7周して、ヨシュアが命じるまでは、決して、叫んではならないとも命じました。不思議な方法でしたが、主が命じられた策なので、ヨシュアも、祭司たちも、軍勢もみな、それに従いました。。
これが、実行に移された時、エリコの町の人たちは、どのような思いで、イスラエルの行動をみていたのでしょうか。おそらく、整然として、町の周囲を回る軍勢と、契約の箱をみながら、日々、恐怖心がつのっていったと思われます。そして、7日目には、なんと、町のまわりを一回まわったあと、いつともとは違って宿営に帰ることをせず、2回、3回とまわり続けたのです。7回、廻って、イスラエルの民がときの声をあげた時には、エリコの町の人たちの恐怖は、最大に達していたに違いありません。そして、主が、その城壁を崩されたので、イスラエルの民たちはみな、城壁の破れ目から雪崩をうって、町の中に攻め入りました。そして、遊女ラハブの家にいたものたちを除いて、みなを聖絶しました。そして、エリコの町とその中のすべてのものを火で焼きました。ただ銀、金、および青銅の器、鉄の器は、主の宮の宝物倉に納めました。こうして、エリコの町が陥落した後、ヨシュアは、「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」と宣言しました。じつは、このヨシュアの呪いのことばは、数百年の時をへて、アハブ王の時代に、べテル人ヒエルがエリコの再建を図った時に、成就しました(第1列王記、16章34節参照)。さて、エリコの陥落のニュースは、ヨシュアの名と共に、近隣諸国にあまねく広まりました。
やはり、今日の個所で特筆されるのは、遊女ラハブのことです。異邦人の遊女という置かれた場所で、ラハブは信仰の花を咲かせました。そして、親族一同を救うという実をむすびました。それだけではなく、彼女はイスラエルの民に加えられ、ダビデ王の先祖のリストに加えられ、ひいては、メシヤであるイエスの系図のリストにまで加えられたのです(マタイの福音書1章5節参照)。新約聖書の中で、ラハブの生き方について、エリコの陥落の記事と共に、信仰の人として紹介されています。「信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」さらに、ヤコブの手紙2章25節にも、「同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。」と記されています。
きょう、私たちも置かれた場所で、信仰の花を咲かせましょう。すでに天に召された渡辺和子さんは「置かれたところで咲きなさい」という著書の中で、次のように記しています。「置かれたところで咲きなさい。咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いなかったと、証明することなのです(12ページより引用)。」笑顔で、さあ、1日、始めましょう。
清宣教師