さて、ヨシュア記8章ですが、主はイスラエルの民の中から聖絶の物を盗んだアカンを取り除かれたのち、アイの攻略の方法を授けられました。それは、イスラエルの罪による敗北を転じて、勝利をもたらすものとする策略でした。ヨシュアは勇士たち三万人を選び、彼らを夜のうちに派遣しました。エリコからアイの町は、西北西、約18キロメートルのところにあり、約1000mの高度差がありました。それで、夜のうちに、兵士たちを伏兵として、アイの町の西の方に配置したのです。さらに、翌日、5千名を伏兵として加えました。つまり、アイの西側に3万5千名の兵士たちが伏兵として配置されたことになります。さて、ヨシュアは、残りの全陣営をアイの町の北側に配置しました。アイの住民たちは、町の西側に伏兵がいることに気付きませんでした。それで、ヨシュアが率いる軍勢が、町の北側から攻撃を開始した時、アイの戦士たちが、城門を出て、ヨシュアの軍勢を迎え撃ちました。そこで、ヨシュアの軍勢は、わざと、敵の前から逃げ去りました。アイの戦士たちは、前のことがあるので、今回も、楽勝とばかりに、イスラエルの軍勢を追撃しました。そして、なんと、アイの町には、戦士たちがひとりも残ることなく、町を開け放して、イスラエルの軍勢のあとを追ったのです。そこで、ヨシュアが、主が指示されたとおりに、投げ槍をアイの町のほうに差し向けました。それを合図に、アイの町の西側にいたイスラエルの伏兵が立ち上がり、難なく、アイの町を占領し、町に火を放ちました。それで、アイの町からは、大きな黒い煙が立ち上りました。そのとき、アイの戦士たちは、後ろをみて、アイの町が攻略されたことを知ったのです。そのころ、アイの戦士たちの前から逃れたイスラエルの兵士たちも、引き返して、アイの戦士たちを挟み撃ちにしました。こうして、アイの町は、滅びました。アイの町の場合は、エリコの町の場合とは違って「分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい」と主が言われました。それで、イスラエルの民は、アイの町の家畜と分捕り物を、主がヨシュアに命じたことばのとおり、自分たちの戦利品として取りました。どうして、エリコの町の場合は、禁じられたのでしょうか。おそらく、エリコの町の場合は、一番はじめの戦利品であり、初穂としての主への捧げ物としての意味をもっていたものと考えられます。それにしても、主は、最初の失敗を益に変えて下さいました。私たちも、自分の高慢や不信仰のゆえに、多くの失敗をします。そして、実際に損失を被ることがあります。しかし、主に立ち返る時、主はその損失をも益に変えてくださいます(ローマ人への手紙、8章28節参照)。
それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築きました。その祭壇は、主が命じられた通りに、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇でつくり、その上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげました。また、その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しを石の上に書きました。さらに、イスラエルの民たちの半分はゲリジム山の前に、あとの半分はエバル山の前に立つように命じました。そこで、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げました。この祝福と呪いのことばの詳細は、申命記27章15節~28章に記されている通りです。ヨシュアは、イスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間にいる在留異国人に対して、律法のことばをひとつも省くことなく、読み上げました。イスラエルの民たちは、これから、この約束の地を相続して、すべての神のみことばを実行して、神の国を実現するはずでした。神のみことばを土台とする国を造り上げることが、神のみこころでした。しかし、現実にはどうだったでしょうか。神のことばから離れていくのに、それほど、長い期間を要することはありませんでした。
きょう、私たちには日ごとの糧である神のみことばが与えられています。これらのみことばを受け取って、私たちの生活、私たちの人生の中で実行していくのが私たちクリスチャンの責任です。きょう、イエス様のみことばに留まり、イエス様の愛の中に留まりましょう。清宣教師