1節~8節:モーセはイスラエルの民たちを集めました。そして、正直に告白しています。「私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない」。そのとき、モーセはイスラエルの民の中で、最年長者でしたから、民たちは、モーセの告白を真剣に受けとめたと思われます。民たちはモーセがこれから何を言おうとしているのか、耳を傾けました。そこで、モーセは続けました。私は約束の地に入ることはできない、しかし、主ご自身が、あなたの先に渡って行かれるから、あなたは約束の地を占領できる。大丈夫、安心しなさい。私はこの世を去るが、私に代わって、主はヨシュアを指導者として立ててくださった。だからヨシュアが、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川をわたり、約束の地に入ることになる。あなたがたは「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れるな。主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と、民たちに語りました。それから、今度は、ヨシュアを呼び寄せて、イスラエルのすべての人々の目の前で、「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」と語りました。モーセは、このように主のご計画を民たちに告げ、彼らが恐れずに約束の地に前進するように、彼らの目の前で、ヨシュアを後継者として指名しました。指導者のバトンタッチの見本のような姿が描かれています。40年間の荒野での放浪の生活を経て、いよいよ、約束の地に入る時が来たのですが、イスラエルの民たちには、心の中に、とても大きな恐れの壁があったのです。彼らを奮い立たせ、約束の地へ導くために、モーセは、最後の力を振りしぼり、何度も何度も、大きな声で語り、「主が成し遂げて下さる」というビジョンを彼らの心に植え付けました。そして、「恐れてはならない」、「おののいてはならない」と語りました。おそらく、そのとき、神の霊が臨まれて、ヨシュアを含めて、全会衆が主からのビジョンを自分のものとして受け取ったと思われます。9節~13節:モーセはさらに、約束の地に入ってからも、主のみおしえを忘れないように、定期的に、七年の終わりごとに、すなわち免除の年の仮庵の祭りにおいて、イスラエルの全会衆に読んで聞かせるべきことを命じました。それは、男も、女も、子どもも、町囲みの中にいる在留異国人も含めて、全員が主の教えを学び、それを守り行うためでした。このことは、子々孫々にわたってなすべきことであり、彼らが生きるかぎり、主を恐れることを学ばせるためでした。14節~23節:主はモーセとヨシュアとを呼び寄せられました。それで、モーセとヨシュアは行って、会見の天幕に立ちました。主は天幕で雲の柱のうちに現われ、モーセに語られました。その内容は、イスラエルの民が、将来、主を捨てて、他の神々を慕うようになるときに、その警告となるように、あらかじめ、一つの歌として、民たちに与えられるというのです。モーセは、主から授けられた歌を書き記しました。そして、イスラエルの民に、その歌を教えました。それから、主は、次期の指導者として選ばれたヌンの子ヨシュアに命じました。「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはイスラエル人を、わたしが彼らに誓った地に導き入れなければならないのだ。わたしが、あなたとともにいる」。主は、指導者といえども、ただの人間であることを御存じです。主ご自身のことばで、ヨシュアを励まされたのです。24節~30節:モーセはレビ人たちに、主のみおしえの書を契約の箱のそばに保管するように命じました。それはモーセが部族の長老たちとつかさたちに、再度、彼らに聞こえるように語るためでした。さらに、モーセは、全会衆を集めて、彼ら全体に聞こえるように、主が示された歌(32章に記されている)を最後まで、ハッキリと唱えました。
きょう、わたしたちも、主がともにおられること、主が導かれること、主は決して私たちを見放さず、私たちを見捨てないことを、もう一度、心の中で宣言しましょう。「今日、主は私と共におられます。私は恐れません。この一日を、主に感謝しつつ、過ごします」清宣教師