16章1節~17章18節は、ヨセフ族への相続地の分与です。イスラエル(ヤコブ)の12人の息子の一人であるヨセフには、二人の息子がおりました。長子のマナセと次男のエフライムです。それぞれが、ヨセフの代わりにひとつの部族として相続権を得ました。つまり、ヨセフは12人の兄弟の中で二倍の相続を得ました。実質的に12人の子供たちの中で長子の権利を得たわけです。当時、長子は2倍のものを相続する権利がありました。ところで、ヨセフ族としてまとめられていますが、中身的には、マナセ族とエフライム族の相続地について記されています。16章5節~10節が、エフライム部族への分与、17章1節~13節が、マナセ部族への分与について記されています。
相続地は、「くじ」で分配されました。(1節)。人為的なかけひきなどが入らないようにしたのだと思います。12部族への割り当てにおいて、良く出てくることばのひとつが、「相続地」、もうひとつが「境界線」です。
私たちには、主イエス様を信じた結果、神の子とされたので、天の御国に割り当ての地、つまり、「相続地」が準備されています。天国は、この世の土地に比べることができない最高の土地です。雑草も生えないし、病気もありません。ハワイよりも気持ちの良い環境です。もう、あなたはその土地を相続しているのです。ただし、相続を現実のものとして私たちが体験するのは、この世を去り、天に召された時のことです。
一方、「境界線」のことですが、おそらく、天国においても、境界線はあるのだと思います。天国の相続地も個別の相続地であって集団の相続地ではないようです。ただし、お互いの間で、境界線の紛争などということは、起こりえないところですから、ご安心ください。
他方、この地上でも、私たちのための「相続地」があり、「境界線」があるように思います。もしも、私たちが、他人の相続地を得ようとしたら、争いが起こります。あるいは、お互いの間の境界線を無視したら、やはり、争いが起こると思います。きのうの15章では、「境界線」という単語が、19回も用いられていました。きょうの16章でも、5回、用いられています。いわゆる「バウンダリー」です。人間関係ではバウンダリーの重要性が指摘されています。この世での生活においても、私たち自身の境界線がどこにあるのか、わかると良いですね。お互いによく知らないために、夫婦の間でも、家族の間でも、兄弟姉妹の間でも、いろいろな紛争が起こります。この地上での私の役割はどこにあるのか、お互いの間の境界線はどこにあるのか、主が示してくださいますように祈ります。
もうひとつ、私たちには、「悪魔に機会(領域)を与えないようにしなさい。」(エペソ人への手紙、4章27節)というみことばが与えられています。私たちの言動が、悪魔に領域(相続地)を与えることになるというのです。私たちの不注意な言動が、私たちの領域に悪魔が侵入する権利を与えてしまうのです。兄弟姉妹を裁いたり、陰口を言ったり、怒ったりするときです。それゆえに「悪い言葉をいっさい口に出してはいけません」(エペソ人への手紙、4章29節)と警告されています。悪魔に対して、しっかりと境界線を定めて、侵入させないことです。「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する」とき、悪魔は私たちの生活の中に侵入できません。アーメン。
清宣教師