さて、18章1節で、「ダン人の部族は、自分たちの住む相続地を求めていた。・・・」(1節)と記されていますが、ヨシュア記19章40節~46節にはすでに、「第七番目のくじは、ダン部族の諸氏族に当たった。彼らの相続地となる地域は、ツォルア、エシュタオル・・・・およびヤフォの近くの地境であった。」と明確に記されています。一方で、士師記1章34節には、「エモリ人はダン族を山地のほうに圧迫した。エモリ人は、彼らの谷に降りて来ることを許さなかった。こうして、エモリ人はハル・ヘレスと、アヤロンと、シャアルビムに住みとおした。」と記されています。つまり、ダン部族は、すでに割り当て地が定められていましたが、そこを占領できなくて、もっと占領しやすいところを探していたというのが、18章1節が意味するところです。こうして、ダン族は、五人の者を選び、新しい土地を偵察し、調べていました。その途中、彼らはミカの家のそばを通った時、あのレビ人の若者が祭司としての務めをしている声に気づいたようです。そこで、彼らは、その若者に「どうぞ、神に伺ってください。私たちのしているこの旅が、成功するかどうかを知りたいのです。」と言いました。そこで、その祭司は「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主が認めておられます。」と答えました。それは、主に伺ったというよりも、一般的な祝福の挨拶として自分の考えを述べたものと想像されます。それから、五人の者は進んで行って、ライシュに着き、シドン人が平和に暮らしているのを見ました。五人の者は、身内の者たちのところに帰って来たとき、「さあ、彼らのところへ攻め上ろう。私たちはその土地を見たが、実に、すばらしい・・・。」と言って、その地を占領すべきであると報告しました。そこで、ダン部族のものたち、600人が武具を身に着けて、マハネ・ダンに宿営し、さらに、エフライムの山地へと進み、ミカの家の前を通りました。そのとき、あのライシュの地を偵察に行った5人の者が、この建物の中に、エポデやテラフィム、彫像や鋳像があり、それにレビ人の祭司もいることを仲間に知らせ、それらを奪って自分たちのものとすることを提案しました。そこで、彼らは、祭司と交渉しました。初めは祭司は、これまでの恩義があり、彼らの提案を断りましたが、彼らは、祭司に新しい提案をしました。それは、「私たちといっしょに来て、私たちのために父となり、また祭司となってください。あなたはひとりの家の祭司になるのと、イスラエルで部族または氏族の祭司になるのと、どちらがよいですか。」というものでした。その結果、「祭司の心ははずんだ。彼はエポデとテラフィムと彫像を取り、この人々の中にはいって行った。」(20節)と記しています。結局、自分の将来と名誉のために、この祭司は、ミカを裏切ったのです。しかも、この祭司は、なんと、主が忌み嫌われる偶像(テラフィムと彫像)を手にして、嬉々として彼らに従ったのです。あとになり、ミカがダンの武装勢力に対して、抗議を申し入れますが、多勢に無勢で、黙認せざるを得ませんでした。その後、ダン部族の者たちは、ライシュに行き、平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを打ち、火でその町を焼き、彼らは町を建てて、そこに住みつきました。彼らはその町をダンと名づけました。ダン族は自分たちのために彫像を立て、あのレビ人がダン部族の祭司となりました。これらの出来事を記しているのは、反面教師としての事例です。17章6節に記されていたように、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」という実例です。ですから、イエス様は、「神の国と神の義とをまず第1に求めなさい」(マタイの福音書、6章33節参照)と命じられています。すべての創造の秩序は、天と地を創造された主のみこころの中にあります。創造主に背を向けて生きる生き方を選ぶと、それは、人間中心主義の生き方になります。自分で考えて、自分で判断する生き方です。しかし、それは、混乱の生き方です。権力の強い者が支配する社会となります。私たちが望む平和の世界は、創造主を中心とする世界です。きょう、私たちも、まわりの人たちに迎合したり、自分勝手に判断するのではなく、「神の国と神の義を、まず、第1に求める生活」へシフトしましょう。
清宣教師