士師記は、不信仰と無秩序の時代を描いていましたが、ルツ記は、ナオミ、ルツ、ボアズと、心から相手の幸福を願う3人が登場します。士師記は、どちらかというと、反面教師のような内容でしたが、ルツ記は、模範とすべき内容が記されています。
1章は、大別して、二つに分けられます。Ⅰ-5節:ナオミを襲った不幸。6節―22節:ナオミはルツと共にベツレヘムに。
1章に出てくる名前ですが、「ベツレヘム」は、ヘブル語で「パンの家」。「ナオミ」は「快い」。「エリメレク」は「私の神は王である」。「マフロン」は「病める者」。「キルヨン」は「消えうせる者」。「オルパ」は「髪の豊かな女性、あるいは、雌鹿」。「ルツ」は「友情」。「マラ」は「苦しみ」。
ナオミとご主人のエリメレクは、ユダのベツレヘムに住んでいましたが、飢饉が襲ってきたので、息子二人を連れて、モアブの野に逃れました。しかし、そこで、ナオミは夫のエリメレクを失い、二人の息子のためにモアブの女性を妻に迎えましたが、二人の息子も死に、息子の嫁たちと3人となってしまいました。すでに、10年の歳月が過ぎていました。
その頃、故郷のベツレヘムは主の祝福のゆえに、食糧事情も好転したことを知りました。そこで、ナオミは、故郷へ帰る決心をしました。二人の嫁には、モアブの実家に帰るように諭しました。しかし、長男の嫁のルツはナオミに対して「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです」(16節、17節)という告白をしました。ルツは、なんとしても、帰ろうとせず、ナオミと一緒に、ベツレヘムに向かうことになりました。ナオミの二人の嫁に対する心遣い、そして、ルツのナオミへの真実が描かれています。
最後の22節で、「こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。」と記されています。振り返ってみると、10年前、ナオミは、夫や子供たちと共に、家財道具を満載して、希望に満ちてモアブの野に向かいました。しかし、そこで、すべてを失って、いま、ベツレヘムに戻ってきました。ナオミが得て返ったものといえば、長男の嫁のルツだけでした。しかし、このルツこそ、すべての財産にまさる宝物であったことが、次第に明らかにされていきます。「大麦の刈り入れ」の時とは、今で言えば、4月頃の季節です。何気ない最後の1行のなかに、じつは、神の御計画がすでに秘められていたのです。
ある人は、ルツ記を、「放蕩娘ナオミの物語」であると言っています。イエス様が語られた例え話の放蕩息子の代わりに、放蕩娘としたわけです。なぜなら、ナオミは、ベツレヘム(パンの家)という主の祝福の町を去り、異邦人の地、モアブに行きました。そこで、すべてを失い、ようやく、自分の帰るべき場所、ベツレヘムへ帰る決心をしたのです。
これから4章まで、テーマごとに進んで行きます。第2章は「不思議な出会い」。第3章は、「決断の時」。第4章は、「道が開かれて、結婚」です。ルツ記は私の大好きな書のひとつです。主なる神の御計画が、異邦人の娘ルツにまで及んでいます。主の御計画の深い恵みを味わうことができる書です。ルツ記はまさに、暗闇の中に、主の栄光が輝き、私たちに希望を与える書物です。
清宣教師