外敵、アモン人がヤベシュ・ギルアデに攻め上ってきました。ヤベシュの人は、アモン人と和平の契約を結ぼうとしましたが、ナハシュが和平の条件として持ち出したきたのは、「ヤベシュの住民みなの右目をえぐりとる」というものでした。ヤベシュの長老は、イスラエルの国中に、自分たちを救ってくれるものはいないか、使者をつかわしました。そこで、立ち上がったのが、サウルでした。
日常の畑の仕事から帰ってきたサウルに、ヤベシュの出来事が伝えられ、それを聞いたサウルは義憤に燃え、主の霊が激しく注がれました。いよいよ、神の時が来たということです。サウルは国中に使者を遣わし、兵を集めました。
その結果、イスラエルの人々が30万人、ユダの人たちが3万人、集まってきました。サウルは、民を引き連れ、3組に分けて、敵を急襲しました。そして、勝利をおさめました。ある人たちが、サウルを侮辱した者たちを死刑にすべきだと主張しました。しかし、サウロは、寛大な心で、彼らに同調せず、侮辱した者たちを赦すようにいいました。
サムエルは、民に対して、「ギルガルへ行って、王権を創立する宣言をしよう」と提案しました。そして、民は、ギルガルで主の前に、サウルを王としました。そして、大きな喜びがわき起こりました。
ただの人が、突然、召命により、王となりました。サウルは、主の霊によって支えられて王の道を歩み始めました。私たちクリスチャンも、ある時、突然、主によって召されてクリスチャンとなりました。そして、主の霊によってクリスチャンとしての人生を歩み始めました。サウルの人生が、どこから、ずれてしまったのか、私たちクリスチャンにとって、大きな関心があります。サウルの人生は、少しづつ、主の道からずれてしまいました。私たちは、サウルの人生を注意深くみて、主の道からずれないように生きることを学ぶ必要があります。
聖霊様によって新しくされ、聖霊様の御業を体験していても、世と妥協する道を選び、自分と妥協する道を選ぶうちに、自分中心の生き方になってしまう危険性があります。これから、サウルの召しとその後の人生を見ていきますが、どこで間違ってしまったのか、どこで修正すれば良かったのか、失敗ではなく、成功のうちに、大きな危険性があることに気付きたいと思います。勝利の時、成功の時、そこに高慢になる種が隠されています。ですから、イエス様は、信仰の成長の秘訣として、「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい」(ルカの福音書17章10節)とアドバイスされています。順風満帆、その中に落とし穴があります。高慢にならならいように気をつけましょう。
清宣教師