ペリシテ人は、町の中にあった主の箱を野に放り出しました。町の人たちにこれ以上災害が及ぶことを恐れたのです。そして、7カ月も過ぎてしまいました。そして、とうとう、イスラエルの神の裁きである災いを避けるためには主の箱をイスラエルのもとあった場所に送り返す以外に方法はない、という結論に達しました。ペリシテ人は、自分たちの知恵を絞って、ダゴンの神に仕える祭司たちや占い師に尋ねました。そして、しかるべき方法を聞きだしました。それは、ペリシテ人の領主たちの数によって、5つの金の腫物と5匹の金のねずみをもって、自分たちの罪の償いのしるしとして、イスラエルの神に捧げるという方法でした。なお、これまでの災害が偶然のことなのか、あるいは、イスラエルの神の箱が原因であるのか、それを確かめる方法として、次のようなことを考え出しました。まず、授乳中の雌牛2頭を子牛たちから引き離して車につなぎ、その車に、イスラエルの神の箱を載せ、さらに、罪の償いのしるしとしての金の腫物と金のネズミを鞍袋にいれて送りだすことでした。通常なら、授乳中の雌牛は、子牛のいる小屋に戻るはずです。もし、そうでなくて、イスラエルに通じるベテ・シュメシュの道へと上って行くなら、それは尋常の出来事ではなく、まさに、神の手の中にあることを証明することになるというのです。果たしてそうなるかどうか、民たちは二頭の雌牛をとり、車につなぎ、その子牛たちを牛小屋に閉じ込めました。そして、その車に、主の箱を載せ、償いの金のネズミと金の腫物の像をいれた鞍袋を載せました。おそらく、牛小屋に閉じ込められた子牛たちは、悲しげな声で雌牛を呼んだに違いありません。ところが、雌牛たちは、驚くことに、子牛が待っている牛小屋ではなく、ベテ・シュメシュへ通じる大通りをまっすぐに、進んで行ったのです。ペリシテ人の首領たちも、驚きつつ、なお念のため、国境まであとをつけていきました。すると、その車は、イスラエルのベテ・シュメシュの人たちの畑に入って止まりました。それをみたベテ・シュメシュの住民たちは、主の箱と金の腫物などの像を大きな石の上に安置して、主の箱を運んできた車を割り、それを薪として燃やし、雌牛を全焼のいけにえとして捧げました。これを遠くから見ていたペリシテ人の領主たちは、自分なりに納得して、ペリシテの地に帰って行きました。
さて、せっかく、主の箱がイスラエルのベテ・シュメシュの人たちのところへ帰ってきたのですが、彼らは主の箱の中をみるという不敬の罪を犯してしまいました。レビ人たちが現場にいたのですが、聖なる箱に対して、正しい取扱いの方法を教えていなかったようです。自分たちの都合で、主の箱を戦場に持ち込んだ人たちです。主の箱に対する敬意がすっかり失われていたようです。しかし、好奇心はあったようで、主の箱の中を覗き込んだのです。おそらく少数の者たちではなく、町中の人たちがその罪を犯したと考えられます。そこで、主はベテ・シュメシュの人たち、5万70人を打たれました。おそらく、疫病ではないかと思われます。かつて、ペリシテ人たちとの戦いで戦死したイスラエルの兵士たちの死者3万人(4章10節参照)を上回る死者の数でした。このような災害を通して、初めてベテ・シュメシュの人たちは、「誰が聖なる神、主の前に立ち得よう」ということに気付くのでした。そして、この箱をキルヤテ・エアリムの人たちに委ねることを決めました。
私たちも、聖なる神を知りました。しかし、いつのまにか、神が創造主であり、私たちは被造物であるということを忘れて、あたかも、私たちも神であるかのような不遜な態度をとってしまう危険性があります。あるいは逆に、神が私たちと同じように、被造物であるかのような不遜な態度をとってしまう危険性があります。きょうの出来事の中にも、「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる(2章30節)」という基本原則を見ることが出来るように思います。聖なる神への畏敬の念を失うことがありませんように。私たちをへりくだらせてください。
清宣教師