サウルがダビデと話をしていると、その傍らでダビデの話を聞いていたサウルの息子のヨナタンの心に尊敬と愛の思いが与えられました。それは、ヨナタンとダビデの信仰の波長がピッタリ一致したからに違いありません。そして、ヨナタンは、ダビデと契約を結びました。ヨナタンは、そのしるしとして、自分の着ていた上着、よろいかぶと、剣、弓、帯までダビデに与えました。こうして、ダビデは生涯の無二の親友を得ました(1節~4節)。
一方、ダビデはサウル王に召し抱えられて、その任務を忠実に果たしました。サウルへの忠誠心は強く、いのちがけで働いたので、いつも、勝利をおさめました。しかし、ある時、ダビデが圧倒的な勝利を収めて返ってきたとき、女たちはダビデを迎えるにあたって、笑いながら、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」という歌を繰り返し歌いながらダビデを迎えました。その歌を聞いたときに、サウルの心に、自分が侮辱されたという思いが入り込みました。なによりも体面を重んじるサウルの弱点を、サタンが狙ってきたのです。「ダビデには万をあて、私には千をあてた」。そして、サタンの狙い通りに、サウルの心の中にダビデに対する疑いが芽生えました(7節~9節)。「彼にないのは王位だけだ」と思ったのです。そして、ダビデは、自分の王位を奪おうとしていると疑うようになりました。これは、明らかに根拠のないことであり、サウル王の心の傷、主に見捨てられた者という劣等感から生じたものでした。しかし、サウルはそのことに気づかず、認めようとしませんでした。それで、遂に、ダビデに対する信頼が、殺意に代わってしまうのでした(10節、11節)。それで、サウルはダビデを自分のもとから離して、いのちの危険にさらされる、戦いの前線におくるべく、千人隊長に任命しました。ところが、ダビデは、いのちをかけて、忠実に戦い、主が祝福して下さったので、連戦連勝、大勝利をおさめるのでした。それで、サウルは、災いの霊に襲われた時、狂ったふりをして、ダビデを槍で刺し殺そうとしました。しかし、主が助けて下さったので、ダビデはいのちを失いませんでした。サウル王は、内心、ダビデに対する恐れを持つのでした。そして、今度は、注意深く、ダビデを抹殺する計画を練るのでした。ダビデには悟られないように、家来を用いて、ダビデが無謀な行為にでるように、仕向けたのです。
この頃から、サウルはもはや常軌を逸してしまい、ただただ、計略をもってダビデを殺そうとはかるのでした。しかし、主がダビデを守られたので、サウルは増々、ダビデを恐れるようになり、ついに、ダビデの生涯の最大の仇敵となるのです(29節)。外敵ではなく、イスラエルのうちに、最大の敵が与えられたということは、ダビデにとって、ものすごい試練でした。一方で、イスラエルの国民は、一筋の希望の光をみて、ますます、ダビデを愛し、ダビデは国民的な英雄となっていくのでした。このことが、逆に、サウル王に対して、ダビデを殺そうとする決断へと唆すのでした。しかし、主のご計画は不思議です。サウル王が、ダビデを殺そうと心に決めているにもかかわらず、他方、サウルの息子ヨナタンは、ダビデの生涯の真の友となったことです。
私たちも、苦あれば楽あり。悪い事だけが続くのではありません。神様は、私たちを試練に会わせることをなさいますが、そこには脱出の道をも備えておられます。試練に耐えられるように、信仰の友をも備えて下さるのです。主よ、私たちにも、ヨナタンのような信仰の友を与えて下さい。
清宣教師