さて、ペリシテ人たちは全軍をアフェクに集結させました。イスラエルの北部、ギルボア山の近くでした。ペリシテ人の首長たちが戦いのために集まってきました。すると、そこにへブル人たちの集団を発見しました。そこで、首長たちは、アキシュに問いかけました。アキシュは、イスラエルの王サウルの家来のダビデであること、そして、この1,2年、アキシュ王に忠実に仕えてきたことを説明しました。しかし、首長たちは、ダビデの行為の裏には何かの計略があるかもしれないということで、この戦いに参戦させないように、アキシュに進言しました。首長たちの意見は一致しており、アキシュ王は、彼らの意見を取り入れざるを得ませんでした。それで、ダビデに対して、「主は生きておられる。あなたは正しい人だ。」と話しかけました。イスラエルの神、主の御名を用いて、ダビデが潔白であることを知っていると語り、しかし、ペリシテ人の首長たちの手前、戦列を離れて穏やかに帰って欲しいと伝えました。それに対して、ダビデは、「私が何をしたというのでしょう。」と口答えしました。そして、「王様の敵と戦うために出陣できないとは」と言いました。王様の敵とは、イスラエルのサウル王たちの軍勢をさしています。この時、ダビデが本心から言ったのではなく、アキシュの信頼を保つために、偽りのことばを出したのです。しかし、アキシュはそれを信頼して、「私はあなたが神の使いのように正しいということを知っている」と言いました。そして、ダビデをなだめて、明日の朝になったら、ペリシテの自分たちの家、つまり、ツィケラグに帰るように説得しました。
さて、これほどまでに、敵から信頼されているダビデでしたが、その根拠は、まったくの偽りを土台としたものでした。まことの神のしもべである者が、偽りを土台とした信頼関係を築くことは、神のみこころではありません。ダビデがペリシテ人の軍勢の中から排除されたことは、主の恵みでした。偽りはさらに、大きな偽りの中へと強いられる恐れがありました。サウル王や、王子ヨナタンを窮地に陥れ、死に追いやることに、直接、加担する恐れもあったのです。ダビデとその一行が、ペリシテ人の軍勢から排除されたことは主の恵みでした。彼らの偽りの生活に、早く終止符を打つ必要がありました。それは、明日の30章で明らかになりますが、ダビデとその一団は、大きな犠牲を払うことになります。しかし、主の介入によって、再出発のチャンスとなるのでした。
私たちクリスチャンも、未信者との友人関係を保つために、偽りをいう誘惑がないわけではありません。しかし、偽りを土台とした友人関係は、真の関係ではないので、自分自身を偽る苦しみをもたらします。それに慣れてくると、その偽りに対して苦しみを感じなくなり、やがて、なんの痛みも感じなくなる恐れがあります。ですから、お祈りしましょう。偽りではなく、誠実を土台とした真の友情関係を結ぶことが出来ますように、主よ、導いて下さい。
清宣教師