ダビデの家族の中に、深刻な亀裂が生じました。その発端は、ダビデの子のアムノンがアブシャロムの妹を辱めたことでした。事の一部始終は父であるダビデ王に報告がありましたが、ダビデ王はそのことを聴いて激しく怒っただけでした(13章21節)。事を穏便に治めるためでしょうか、アムノンを罰することをしませんでした。アブシャロムは心の中でアムノンを罰する決意を抱きました(32節参照)。そして、ひそかに機会を待ちました。その後もアムノンは罰せられることなく過ごしていました。あの事件から、満2年後、アブシャロムはアムノンに対する処罰を断行しました。それから、ただちに、国外に逃亡しました。ダビデはアムノンの死を悼み、悔やんでおりました。それで、アブシャロムを呼び戻そうとはしませんでした。その間に、3年が過ぎていました。
今日の14章の個所では、ダビデの家来の将軍ヨアブが、ダビデ王家の亀裂を心配して、ダビデとアブシャロムの間を執り成そうとして策略を立てました。それは成功して、ダビデはアブシャロムをエルサレムに呼び戻すことに同意しましたが、しかし、実際にアブシャロムがエルサレムに帰ってくると、自分との対面は禁じました。こうして、アブシャロムは、家に引きこもり父であるダビデ王の顔を見ることが出来ませんでした(24節参照)。ダビデが何もせずに2年が経つうちに、アブシャロムの心は父ダビデから離れて行ったようです。アブシャロムは、死をも覚悟して決断しました。ヨアブを呼び寄せて、ダビデ王に執り成しを求めました。その結果、ダビデはアブシャロムを呼び寄せて、王の前にひれふすアブシャロムに口づけしました(33節)。本来、この場面は、対立していた父と子の和解の場面であり、最も感動的な瞬間だったはずです。しかし、ダビデは時機を失していました。5年の歳月は、アブシャロムの中の父親への信頼を完全に失う方向へと作用していたのです。アブシャロムはすでにこの時、父に謀反を起こすことを決意していたようです。
明日の15章以降、アブシャロムは周到な計画を立てて父ダビデに対して謀反を起こします。すべては主がご存じであり、アブシャロムに起こった出来事も、もとはといえば、ダビデが犯したバテシェバとの事件が引き起こしたものでした。それは、すでに預言者ナタンを通して宣告されていたことでした。その意味では、主の御手の中にある出来事でした。しかし、ダビデは、この時の対応を見る限り、信仰の人というよりも、ただの人のようになっていました。むしろ、15章の危機的な状況で初めてダビデらしい信仰の決断をみることができるように思います。主はすべてのことを働かせて益として下さいます。
私たちにとっても、物事が順調に進んでいると、いつのまにか高慢になり、信仰の決断ではなく事なかれ主義に陥ってしまう傾向があるように思われます。むしろ、危機的な状況や困難の中でこそ、信仰の人として生きることを学ぶように思われます。主は危機的な状況も、困難も、すべてご存じであり、私たちに必要な時に与えられるものです。主の御計画には間違いがなく、すべてのことを働かせて益としてくださるお方です。主のなさることに間違いはなく、失敗もないことを感謝します。すべてのことを、主にお委ねします。
清宣教師