この22章に記されている内容は、ほぼ、詩篇18篇と同じです。なぜ、あえて、聖書の著者は、同じ内容の詩をサムエル記の補遺としていれたのでしょうか。詩篇は、神への作者の心の動きなどを中心にまとめているので、あえて、時代背景や事件の背景などは述べられていない場合もあります。どの時代の信仰者でも、詩篇を通して、作者の苦悩や感謝や体験を共感して主に信頼することへと導かれます。しかし、この詩篇18篇が生みだされた背景には、現実の危機がありました。サウル王家の誕生、それに続くダビデ王家の誕生という歴史の中で、ダビデが最大の危機である、サウル王の追撃の中から救われたという証しとして紹介していると思われます。サウル王に代表されていますが、それはダビデにとって最大の脅威であったからです。22章の表題には、「主が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から救われた日」と記しています。一方で、この時期と言うのは、まだ、バテシバ事件などを起こす前に書かれたことに注意を払う必要があります。
サウル王の妬み、あるいは悪霊による支配のもとにあるサウルの所業により、ダビデは死の苦しみを味わいました。しかし、ダビデが愛をもって誠実に対応した時に、サウル王はダビデの行為に感動して涙を流して自分の非を認めたことが何度かありました。ところがそれも、コロコロ変わってしまうのです。しかし、ダビデは、サウル王は、特別に、主が油注がれた人であると理解していました。決して自分の手でサウル王を殺害するようなことがあってはならない、という意識がありました。ですから、この22章の表題で、サウルを「敵」として表現していますが、敵を、100%悪の存在としているわけではありません。抹殺すべき存在としては考えていません。むしろ、ダビデの行く手を阻む意味での敵という表現であると思われます。
主はサウルを召されました。その後、サウルの不従順のゆえに退けられました。そして、主はダビデを召されました。ところが、サウルは、それを知りながら、ダビデの行く手を阻んだのです。それは、神に敵対することでした。神のみこころの成就を阻む存在となったのです。ダビデはそのような状況の中でも、サウルの死を願いませんでした。もちろん、その子のヨナタンの死も願いませんでした。ただ、主が介入して下さり、平和的に解決されることを願っていました。主の解決をただ、ひたすら待ったのです。サウルを不倶戴天の敵として、その死を願うなら、単純でした。そうはいかないのです。同じイスラエルの共同体の一員であり、サウルは主が退けられたとはいえ、現に王として君臨しているのです。
今日の個所を私たちの生活に適用すると、私たちの目に見える敵(人間)も、創造主の作品であり、勝手に滅ぼすことは許されていません。呪うことも許されていません(ペテロの手紙、第1、3章9節)。ただ、私たちが成すべきことは、主に、敵の手から救って下さることを求めることです。ダビデは、サタン的な存在であるサウル王の迫害を受けても、主のみこころを貫いた人です。(残念ですが、そのダビデもバテシバの件で、サタンの誘惑に陥ってしまいました。しかし、ある意味、その生涯の最後まで、主の憐みと恵みを受けた人でした)。「彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった」(22章19節)。目に見える敵(人)を呪うことではなく、主が介入して下さることを信じて、主に願い求めることこそ、最良の解決なのです。
清宣教師