今日は、4章です。弱体化したサウル王家でしたが、略奪隊の隊長のバアナとレカブの二人が、将軍アブネルの死後、勢力を増し加えたようです。将軍アブネルが生きていた時は、イスラエルの軍隊にはまだ秩序がありました。しかし、アブネルの死後、規律は失われ、無法状態のような状況となったようです。略奪隊の隊長が、サウル王家のイシュ・ボシェテの家に入り込み、小麦を略奪し、さらに、昼寝をしていたイシュ・ボシェテを寝台の上で、下腹を突き、殺して、首をはねました。それを、一晩中、歩いてヘブロンのダビデのもとへ持ってきました。彼らの心の中には、サウル王家はダビデ王家の敵であり、サウル王家のイシュ・ボシェテの首をダビデのもとにもってくれば、ダビデ王から多額の報酬を得ることができるという打算があったようです。
しかし、ダビデは、イシュ・ボシェテを暗殺した二人を処刑するように命じました。主に油注がれた者を、しかも、寝床で昼寝をしている、無防備な人を襲ったのですから、これは強盗殺人の罪のたぐいであって、死に値するとダビデは考えたのです。こうして、ダビデによって、主の正義が確立されていきます。一方、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネル将軍の墓のかたわらに一緒に葬りました。アブネルは、ダビデによって国葬によって埋葬されたのですから、そのかたわらに葬られたということは、ダビデが、、イスラエルの王としてのイシュ・ボシェテに敬意を払ったことが示されています。このような振る舞いは、昔であっても、人々の口を通して、遠く、イスラエルの隅々まで伝わったとおもわます。イスラエルの民は、権力闘争や暗殺などに飽き飽きしており、ダビデのような君主の登場を待っていたのです。
こうして、次の5章へと展開していきます。
今日の個所から教えられることは、ダビデが、物事を自分の利益になるかどうかで判断せず、主のみこころの視点に立って判断したことです。現代の社会では、何事も結果主義、結果が良ければ良しと言う風潮があります。日本でも昔から「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われてきました。しかし、ダビデは、勝ち負けではなく、主のみこころに従って、物事を判断し、決断しました。私たちの人間関係においても、自分の味方(仲間と思われる人たち)には好意的に配慮し、自分の敵(仲間ではないと思われる人)には冷たい態度で接する傾向があります。クリスチャンは、ダビデのように、公正な判断をすることが求められています。なぜなら、主はすべてを御覧になっているからです。主はそのことを良しとされます。主が報いて下さいます。
それでは、主の守りを願う祈り(バジレア・シュリンク著)を紹介します。主イエス様、どうか恵み深い御手をもって、私たちの家庭と国を守ってください。あなたの尊い血潮が砦となって、敵の攻撃を阻止しますように。あなたの十字架こそ、勝利のしるしです。その前でサタンは逃げ出す以外にありません。十字架は私たちの家や国の上に立ち、それらがあなたのものとして認められますように。尊い御名の力によって、わたしたちの家や国、愛する人々が守られ、御使いが常に見張ってくれますように。あなたの御名こそ、すべてにまさる大いなる力だからです。アーメン。
清宣教師