列王記に入りました。以前にも記しましたが、ヘブル語聖書では、列王記は、単に「王たち」を意味し、もともとは、単一の書であり、第1、第2の区別はありませんでした。ギリシャ語の70人訳では、サムエル記を「王国の第1、第2」とし、列王記を「王国の第3、第4」としています。
次に、列王記第1と第2のアウトラインですが、1.ソロモン王国時代(列王記第1、1章―11章)、2.南北分裂王国時代(列王記第1、12章―22章、列王記第2、1章―17章)、3.南王国時代(列王記第2、18章―25章)となっています。
では、1章です。冒頭、ダビデが年を重ねて老齢になったことが記されています。私たちはダビデの少年時代から壮年時代へと、夢中になって、波乱万丈の時代をダビデと共に歩み、そして息子たちの反逆に心を痛めて歩んでいるうちに、いつしか、ダビデも老齢となり、人生の幕を閉じる時期が近付いていることを知りました。なにか、「光陰矢のごとし」というか、時の移り変わりの早いことを感じます。ダビデは平安な最期を迎えるのかと思いきや、またまた、息子の謀反の記事が記されています。
アドニヤは、ダビデの4男でしたが、生き残っている子たちの中では、年長者でした。自分こそ、王の後継ぎとしてふさわしいという野望を持つようになりました。その背後には、ダビデ王が、自分の後継者を公けには明確にしていなかったことがあると思われます。ダビデ王は、ソロモンの母のバテシェバや預言者ナタンらのごく親しい者に対しては、自分の後継者としてソロモンを考えていることを話していたようです。このような状況の中で、アドニヤは、既成事実をつくって、王になろうとしたようです。将軍ヨアブ、祭司エブヤタルに相談して、自分の支持者にしてしまいました。そして、いよいよ、決行の日を迎えました。預言者ナタンやソロモンを除く、有力者を招き、事実上の王としての宣言をすることになっていました。ところが、それを知ったナタンが素早く行動し、バテ・シェバに報せ、ダビデ王に危機的な状況を正確に知らせました。そして、ダビデ王の優れた危機管理により、反乱は短時間で終結しました。首謀者のアドニヤは、新しく王となったソロモンの前に、礼をして、命乞いをして、助かりました。他の支持者たちは、それぞれ、アドニヤから離れ去りました。
このアドニヤの謀反は、ある意味、主の御手の中で用いられ、すみやかなソロモン王へのバトンタッチが成就したのでした。また、反乱の結果、だれが味方であり、だれが敵であるかの色分けが明確になり、ソロモン王の王権の土台を築くのにプラスとなりました。つまり、すべてのことが働いて、むしろ、益となったのです。私たちも思いがけず苦境に陥ることがあります。しかし、そのようなとき、主は思いもよらぬ人を用いて助けて下さったり、思いもかけぬ方法で私たちを助け出してくださいます。主は真実なお方です。主はすべてを御存じですから、私たちを見放すことをなさいません。
それはそれとして、どの時代も、次世代への信仰の継承はとても難しい課題です。ダビデほどの信仰の人であっても、そうなのです。そういえば、大預言者サムエルの場合も、信仰の継承に失敗しています。もちろん、外見上の継承という意味では出来ていたのかも知れません。しかし、主は外見ではなく、中身を見られるお方です。そして、子供たちも両親のみかけではなく、親の実質を見ているのだと思います。私たちは無力です。私たちの信仰と生活の一致のために、お互いに、主の助けがありますように、祈っていきましょう。
清宣教師