今日から新しく列王記第2に入りました。アハブの子のアハズヤは屋上の部屋の欄干から落ちて病気になりました。それは災いではなく、主に立ち返るためのものでした。しかし、アハズヤは、問題の解決のみを求めて、忌むべき偶像の神、バアル・ゼブブに伺いをたてるための使者を遣わしました。王の使者が出かけると、途中で、主の預言者エリヤが現われて、王への主のことばを告げました。それをきっかけにアハズヤは、預言者エリヤを王のもとに召し出すように、50人隊長に命じました。しかし、50人隊を引き連れて隊長が、エリヤのもとに行きましたが、みな火で焼き尽くされてしまいました。そこで、アハズヤは再度、50人隊を引き連れてエリヤのもとに行くように、隊長に命じました。しかし、みな火で焼き尽くされてしまいました。そこで、アハズヤは三度目、50人隊を引き連れてエリヤのもとに行くように、隊長に命じました。この隊長は、すでに、2度にわたり、遣わされた50人隊がみな火で焼き尽くされてしまったので、恐れをもってエリヤのもとにひれ伏し、懇願して言いました。そのとき、主が介入して下さり、御使いを通して、この50人隊の隊長と一緒に王のもとへ行くように、エリヤに命じられました。そして、エリヤは、無事に王のもとへ行き、主のことばを王に伝えました。そして、その主のことばのとおりに、アハズヤは死にました。そして、ヨラムが王となりました。
これらのことは、私たちに大切なことを教えています。問題が起こる事自体は、決して、問題ではなく、その中に、答え(祝福)があるということです。アハズヤが、屋上の欄干から落ちて病気になった時、その中に答えがありました。しかし、アハズヤは、問題を直視しないで、偶像の神に解決を求めました。その後の50人隊に起こった出来事も、アハズヤは、問題を直視すべきでしたが、そうはしないで、新たに50人隊を派遣しただけでした。むしろ、3番目に遣わされた50人隊長が、これまでの50人隊の火による裁きという問題の中に、解決を見出しました。そして、主を恐れて、エリヤのもとへ行きました。それで、この隊長と50人の隊員は死なずに済みました。また、主のことばの通りに、アハズヤ王の死を見ることになりました。こうして、この隊長は主を恐れることを知りました。本当は、アハズヤ王こそが、その恵みにあずかるはずでしたが、問題を無視したために、主のみこころと祝福を逃してしまいました。
主は恵み深く、憐み深い方です。いたずらに、問題をもって私たちを苦しめられるお方ではありません。問題には、主のみこころが隠されています。主はその問題を通して、私たちに語りかけています。その問題を通して主のみこころを知るときに、問題は問題ではなくなります。『すべての問題は祝福の門口』と言われているとおりです。ある時、イエス様は、弟子たちと共に舟にのっていましたが、突然、嵐に襲われました。しかし、落ち着いて眠っておられました。父なる神様が許されることには悪いものはなにもない、と信頼していたからです。幼子のように御父を信頼しておられるイエス様の御姿に、私たちは平安をいただきますね。イエス様、ありがとうございます。きょう、イエス様のように平安を持って歩ませてください。
余談ですが、1956年のこの日(5月16日)、南半球のオーストラリアで一羽の極アジサシ(渡り鳥のⅠ種)が発見されました。その足には、1年前に遠く北半球のロシアでつけられた認識票がありました。つまり、北極圏から南極近くまで22,530キロメートル(成田―ニューヨーク間の約2倍の距離)も移動しているのです。極アジサシと関係のあるセグロアジサシの場合は、巣を離れて3年間~10年間、空中で過ごした後、陸地に戻ることが知られています。つまり、飛行中に食べたり飲んだり、排せつしたり、眠ったり、交配もするのです。すべて空中での営みです。ビックリ!信じられないですね。これが創造主の作品の驚きの一面です。主のなさることは、人の考えをはるかに超えています。主を賛美します。
清宣教師