ヨアシュ王が即位して、40年間、王でした。しかし、その前半と後半では、信仰の姿勢が異なりました。祭司エホヤダがヨアシュ王を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行っていました。そして、ヨアシュ王は、主の宮に捧げられる献金を用いて、宮の修理をするように命じました。ところが、なかなか、祭司たちは宮の破損を修理しませんでした。その理由は不明です。そこで、ヨアシュ王は、献金の用途を定めて、民たちに呼びかけました。民たちは喜んで捧げ、その献金は宮の修理のために、工事の監督者や木工や石工、建築師たちに支払われて、順調に修理が実施されました。その後、アラムの王が攻め上ってきたとき、ヨアシュ王は、主の宮と王宮の宝物蔵から、これまでの王たちが聖別して捧げたものやヨアシュ王自身が捧げたものの中から、すべての金を取り出してアラムの王にみつぎものとして捧げました。そこで、アラムの王は、エルサレムの包囲を解いて自分の国へ帰って行きました。そのあと、ヨアシュの家来たちが謀反を起こし、ヨアシュを殺してしまったことが記されています。そして、彼の子アマツヤが代わって王となったことが記されています。私たちは、ヨアシュ王の治世の前半と後半の間に、何が起こったのか、不思議に思います。
それで、その間の事情をしるために、歴代誌第2、24章をみたいと思います。ヨアシュは主の宮を新しくすることを志し、祭司とレビ人を集めて、「ユダの町々へ出て行き、毎年あなたがたの神の宮を修理するために、全イスラエルから金を集めて来なさい。あなたがたは急いでそのことをしなければならない。」と命じました。ところが、レビ人は急がなかったようです。それで、王はかしらエホヤダを呼んで「なぜ、あなたはレビ人に要求して、主のしもべモーセとイスラエルの集団の、あかしの天幕のための税金を、ユダとエルサレムから持って来させないのですか。」と問いただしました。この辺からヨアシュ王と祭司エホヤダとの間に、行き違いが起こるようになったと思われます。それでも、エホヤダの存命中は、ヨアシュ王は、主の教えに忠実に歩んでいたようです。ところが、「エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。彼らはその父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えたので、彼らのこの罪過のため、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。主は、彼らを主に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった」(歴代誌第2、24章17節~19節)と記されています。つまり、ユダのつかさたちが、これまでのエホヤダの影響力を排除するために、いわば謀反を起こして、ヨアシュ王を偶像礼拝に誘い込んだようです。その後、祭司エホヤダの子ゼカリヤが、「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。』あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」と宣言した時、ユダのつかさたちは、王の命令で、彼を石で打ち殺しました。聖書は次のように述べています。「ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれたまことを心に留めず、かえってその子を殺した。その子は死ぬとき、主がご覧になり、言い開きを求められるように」と言った(22節)。こうして、主はアラムの軍勢にユダの軍勢を渡されました。アラムの軍勢は、ヨアシュを裁判にかけましたが、重病の状態にあるヨアシュを捨てて、離れて行きました。その時、ヨアシュの家来たちは、祭司エホヤダの子たちの血のために謀反を企て、病床で彼を殺したのでした。そして、彼の子アマツヤが代わって王となったことが記されています。ここにも、その生涯を通じて、主に仕えることを貫くことが、どんなに困難なものであるかが記されています。主への信仰をもち、その人生を通じて、主に仕えようと決心するのですが、案外、ものごとがすべて順調に行きはじめると、自分の力を過信して、自分の人生を生きることになり、その結果、この世の神への礼拝へと方向転換してしまうのです。神様からの称賛ではなく、人からの称賛を求めると、堕落への罠となるようです。要注意ですね。清宣教師