北イスラエルのヨアシュ王の治世の2年目に、南ユダ王国ではアマツヤが王に即位しました。アマツヤは25歳で王となり、エルサレムで29年間、王でした。アマツヤは主の目にかなうことを行いましたが、ダビデのようではなく、100%の従順ではありませんでした。彼は自分の治世が安定すると、謀反により父のヨアシュ王を殺害したヨサバデとエホザバデ(12章21節)を処刑しました。しかし、主の教えに従い、その子を殺すことはしませんでした。子は親の罪のために殺されてはならないからです。その後、エドム人と対決しました。そして、大勝しました。アマツヤ王はエドムと戦う前に、北イスラエルから10万人の傭兵を銀100タラントで雇いました。しかし、神の人が現われて、その雇用を解除して北イスラエルに返すように勧告しました。アマツヤ王は、それを聞き入れて北イスラエルの傭兵を北イスラエルに返しました。ところが、傭兵たちは、自分たちが賃金を受けたにもかかわらず、北イスラエルに帰る途上、腹いせに、南ユダの町々を略奪をしながら、自分の国に帰って行ったのです(歴代誌第2、25章13節)。傭兵たちは戦場で手柄を立てて、多くの分捕り物を手に入れる算段だったからかも知れません。アマツヤ王は、100タラントをみすみす、損するような形となりましたが、神の人が、それよりも多くのものを主が与えて下さると語られたので、主のことばに従ったのでした。そして、主によって大勝利をいただいたのです。
そして、主に対する熱心のゆえでしょうか。北イスラエルに決戦を申し込んだのです。この列王記の記事の流れでは、ヨシュア王が、主に従う者として、背教者である北イスラエルを征服することが出来ると考えたようです。しかし、列王記には記されていない事柄がありました。それは、ヨシュア王がエドムを征服した時、エドム人の神々を持ち帰り、礼拝していたことです。また、その罪を指摘した主の預言者に対して、預言者を脅しているのです(歴代誌第2、25章14節~16節)。こうなると、ヨシュア王が、主のしもべとして忠実であったかというと、不忠実であったということになります。そして、エドムに対する勝利で、自分勝手な道を選び、高慢にも、北イスラエルに挑戦したということが明らかになります。つまり、北イスラエルの王ヨアシュが、南ユダの王、アマツヤに送った手紙の内容に書かれていることが真実に近いことが分ります。主は北イスラエルの王、ヨアシュを通して、アマツヤに警告したのです(歴代誌第2、25章20節)。ところが、アマツヤはこれを聞き入れず、無謀にも北イスラエルと戦いましたが、散々な敗北を喫しました。それがもとなのでしょう。エルサレムの人たちの謀反によって、いのちを落とすことになりました(14章19節)。そこで、南ユダの民たちは、アマツヤの子のアザルヤを王として立てました。一方、北イスラエルでは、ヨアシュの子ヤロブアム2世が王となり、サマリヤで41年間、王として治めました。ヤロブアム2世はネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめませんでした。しかし、主の憐みによって、彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復しました。それは、預言者アミタイの子ヨナを通して、主が仰せられたことばのとおりでした。やがて、ヤロブアム王は死に、その子ゼカリヤが代わって王となりました。
さて、イエス様は、弟子たちに警告しています。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。・・・『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイの福音書7章21節~23節)。私たちは、いつのまにか高慢になって、主のみこころから離れてしまう恐れがあります。主は、へりくだって、主に仕える者たちを求めておられます。清宣教師