第6章は、レビの子孫について記されています。4節~15節は、大祭司アロンの家系。16節~31節は、レビの子のゲルション(17節、20節、21節)、ケハテ(18節、22節―28節)、メラリ(19節、29節、30節)の諸氏族について記されています。そして、31節~53節は、主の宮の聖歌隊の組み分けに従い、ヘマン組、アサフ組、エタン組などの神殿奉仕者の系譜を記しています。54節―81節は、祭司やレビ人らの居住地が記されています。歴代誌の特徴のひとつは、主なる神を礼拝する代表的な、模範的な人物として、ダビデを取り上げていることですが、もう一つ、礼拝の確立に関わるものとして、レビ族を取り上げていることです。レビ族こそ、主によって選ばれ、イスラエルの神礼拝の中心的な役割を担う人たちでした。バビロン捕囚から帰還した民たちの大多数は、ユダ部族で占められていましたが、レビ人たちも少なからず含まれていたようです。そのレビ人たちの中では、祭司たちが約8割、祭司でない普通のレビ人たちは約2割弱であったようです。やはり、祭司たちの方が、イスラエルの再建に対する意識が強かったようです。ところで、4節~14節あるいは、25節~30節では、先祖から子孫へ、階段を一段、一段下りていくような表現となっています。それに対して、33節~47節では、「○○の子、さかのぼって、□□の子・・・」という表現となっており、こちらは、子孫から先祖へ、階段を一段、一段、上って行くような表現となっています。ここには3組の神殿奉仕者のルーツが記されていますが、それらの3つのグループのリーダーの先祖はみな、レビに行きつくこと、つまり、お互いに奉仕の中身は違ってもみなひとつであるということを強調したかったのでしょう。最後に、54節~81節に、レビ人たちの居住地が記されています。これらの居住地は、イスラエルの全部族の割り当て地に拡がっています。つまり、イスラエルの民たちの中に、散在して住むことが、主のご計画でした。普段の証しが大切なことを示しているように見えます。
つまり、クリスチャンもまた、イエス様によって「地の塩」であると呼ばれているように、地に拡がり、そこで、地域に溶け込み、塩気を保ちながら良い証をするように求められているのだと思います。清宣教師