12章は「ダビデがまだキシュの子サウルから身を避けていたとき」という出だしで始まっています。サウロ王の権力欲と嫉妬のゆえに、正当な理由なしに迫害されたダビデでしたが、最後まで、主の前に、主の主権を犯すことなく、サウロ王に対して反旗を翻すことなく、ひたすらに耐えたダビデでした。しかし、いま、その忍耐の実を収穫する時が来ました。ダビデにつく人たちが、ダビデのもとに集まってきたのでした。その中にはサウロ王の出身部族であるベニヤミン部族の中からも出てきました。また、ヨルダン川の向こう側のガド族の人たちも、それぞれ、自分の居場所を捨てて、ダビデのもとに集まりました。そして、さらに、イスラエルの各部族の中からダビデのもとに人々があつまりはじめました。みな勇士たちでした。マナセ族の千人隊長もおり、ダビデの陣営は大陣営となっていきました。そして、ヘブロンにダビデが来たときには、ユダ部族、シメオン族、レビ族、ベニヤミン族、エフライム族、マナセ族、イッサカル族、ゼブルン族、ナフタリ族、ダン族、アシェル族、ルベン族、ガド族のみんなが集まってダビデを全イスラエルの王としました。その中でも特筆されるのは、イッサカル部族からの200人でした。彼らは、「時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っていた」人たちでした(32節)。また、ヘブロンに集まってきた人たちを、聖書は「全き心でヘブロンに集まった」と表現しています。さて、38節には、「心が一つになっていた」、40節には、「喜びがあった」と記されています。私たちの教会も、兄弟姉妹が心をひとつにして、喜び、主を礼拝する群として、豊かに成長しますように。
清宣教師