ここでは、サウロ王の最後の事が記されています。どうやら、イスラエルの国は、本来、どうあるべきであったかを記して、これからの再建の道筋を見出す一助とすることを意図しているようです。サウル王がイスラエルの初代の王として、栄えある地位を与えられたにもかかわらず、その最後は悲惨なものでした。しかも、サウル王だけでなく、その息子たち、ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアも打ち殺されました。サウロ王の死体は城壁にさらされましたが、かつて、サウロ王によって助けられたヤベシュ・ギルアデの住民たちが、その恩義を忘れず、勇士たちをおくり、サウロ王の亡骸を奪い返し、ヤベシュに持ち帰り、丁寧に埋葬しました。そして、この記事を終えるにあたり、サウル王が犯した不信の罪を、大きく3つに分けて記しています。ひとつは、主のことばを守らなかったこと、ふたつめは、霊媒に伺いをたてたこと、三つめは、主に尋ねなかったことです。これがイスラエルの王としてのサウルが犯した不信の罪でした。イスラエルの指導者として、あるまじき行為である、との指摘です。それとは、対照的に、次の章から登場する、ダビデがイスラエルの王として、適格者であることを浮き彫りにしていきます。私たちもクリスチャンとして、サウロのような背信の罪の罠に陥らないように気を付ける必要があります。心の中で兄弟姉妹のみなさんと手を繋ぎ、「私たちを試みに遭わせないで、悪から救い出してください」と、きょうも、ご一緒に祈りましょう。清宣教師