ダビデは王に即位して、早速、軍務につく者たちに、これまでダビデの心の中に抱いてきたビジョンを話しました。それは契約の箱をダビデの町に迎えるということでした。これは王でないと出来ないことでした。ダビデは、王に即位するまで、そのビジョンを心の中に温めてきたのでしょう。王に即位して、最初にそのことをしたかったようです。それで、まずは祭司やレビ人を招集しました。そして、イスラエルの全集団の代表を集めて、国家的な行事として、契約の箱をキリヤテ・エアリムへ迎えに行きました(1節―6節)。しかし、ダビデの町(エルサレム)へ運ぶ途中で、思わぬハプニングが生じてしまいました。ウザによる「割りこみ」事件でした。それで、ダビデは、契約の箱を直接、ダビデの町へ運ぶことを中断して、オベデ・エドムの家に運ばせることにしました。そこで、しばらく様子をみることにしたのです。オベデ・エドムの家では契約の箱が留まっている3か月間、災いどころか、大きな祝福がもたらされていることが分りました(7節―14節)。それで、ダビデは、ふたたび、契約の箱をダビデの町へ移そうと計画しました(15章参照)。私たちも、ある立場を与えられなければ出来ないことがあります。しかし、主がその立場を与えて下さった時には、主のみこころにかなった行動が求められます。ダビデのように、その立場を与えられた時には、このことを真っ先にしたいというビジョンを持つことも大事です。それは今自分が与えられている立場を超えて、もっと大きな視野で考える習慣を身に付けることだと思います。ダビデは、主のみこころにかなったビジョンを持っており、それを実行に移しました。ところが、人身事故が起きてしまいました。その計画は、国家的な事業計画だったにもかかわらず、大失敗に終わりました。それで、ダビデは悩み、一時的に、そのビジョンを推し進めることをやめて、中断しました。その事故が起きたことにより、主のみこころではないかも知れないという、ひとつのしるしとして受け留めたのだと思います。しかし、様子をみることにしました。それだけでなく、ダビデはその事故の真の原因はどこにあるのかを徹底究明したのだと思います。その結果、契約の箱を運ぶのに、ふさわしいやり方ではなかったことが事故の原因であることに気付いたのです(15章2節、13節、15節参照)。こうして、ダビデは、再び、そのビジョンを実現するために、あらたな方法で取り組んだのです。このように、良いビジョンであっても、主のみこころにかなったやり方を知る必要があります。失敗は、主がビジョンそのものを否定されている証しとはなりません。やり方の問題かも知れません。失敗した時は、その真の原因を探求し、再び、ビジョンの実現に取り組むときに、『失敗は成功のもと』となります。与えられている使命に対して、あせらず、あわてず、謙虚に、大胆に、取り組みましょう。
清宣教師