ダビデは、主の契約の箱を安置するための神殿を建設したいという自分の意志を、預言者ナタンに伝えました。預言者ナタンは、ダビデの希望を受け入れて「あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるからです。」と答えました。その背景には、主の契約の箱をエルサレムに迎えようとして、それを実行したダビデの熱意と誠実さを見ており、ダビデの信仰の確かさを知っていたからこそ、即答したものと思います。しかし、主なる神のお答えは違うものでした。その夜、主は預言者ナタンに対して、「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない」とダビデに返答するように命じました。このように、人間の判断と主なる神の判断は異なる場合があります。ここには記されてはおりませんが、別の個所には、ダビデは周囲の多くの敵たちと戦って、多くの人たちの血を流したので、神殿を建てる者としてはふさわしくないこと、一方、その息子のソロモン(ヘブル語で、平和の意味)こそ、神殿を建てるにふさわしい者であると述べています。しかし、それはダビデにとって不本意なことかも知れませんでしたが、ダビデの心は、主によって受け入れられました。その証拠は、主なる神が、ダビデのために家を建てて下さるという祝福でした。この場合の「家」とは、文字通りの宮殿という意味ではなく、ダビデ「王朝」という意味の「家」でした。つまり、子々孫々まで、ダビデの家(王朝)が栄えるという祝福でした。これは、ダビデにとっては、想像もできない、途方もない祝福でした。
私たちの場合も、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主なる神を愛する時、主は途方もない祝福をもって私たちを祝福して下さいます。主が私たちの子孫を、信仰者の家系として確立してくださり、祝福して下さいますように。
清宣教師