さて、きょうの19章は、ダビデが、「・・・・」と考えた(2節)ことが発端となって戦争にまで発展してしまいました。確かに、お悔やみを言うのは、時にかない、これまでの親交に応えるものだったに相違ありません。しかし、良いこと=(イコール)私たちがやるべきこととは限りません。親切な行為が、逆に、誤解されて仕返しを受ける時もあります。すべてに、主の導きが必要であることを痛感します。そもそも、相手のナハシュとは、「蛇」という意味です。あのエデンの園に現われたのも「蛇」でした。それでも「真実」を尽くそうというのがダビデの人柄でした。しかし、結果的には、その真実は、相手に通じるものではありませんでした。
ナハシュの息子のハヌンは、ナハシュに代わってアモン人の王となりました。そこで、ダビデの使いが父の御悔やみに来たとき、アモン人のつかさたちのいうことを鵜呑みにして、彼らはスパイとして来たと考えて、ダビデから遣わされた人たちを辱めて追い返してしまいました。それがもとで、自分の国を戦争に巻き込み、しかも、大敗してしまうという、大失敗を犯してしまいました。ハヌンは、一国の王として、もっと慎重に調べ、的確に判断することが求められていたように思われます。もうひとつ、ダビデとナハシュの間には信頼関係があったとしても、世代が変われば信頼関係も変わるということのようです。そういう意味では、世代の交代に応じて、新しい信頼関係の構築が必要であることを教えられます。もちろん、ダビデもその意味で、ナハシュの子のハヌンに使者を送ったのだと思いますが、どうも、その意図が伝わらなかったようです。
私たちも、お互いにプレゼントを贈ったりする習慣があります。そのような中にも、適切でなければ、誤解を招いてしまう恐れがあります。贈り物を選ぶにも、また、お祈りが必要です。また、お互いに善意でしたことが誤解を招くことがないようにお祈りしていきましょう。なにしろ、父なる神様のプレゼントはひとり子のイエス様でした。父なる神の愛は完全であり、真実です。それでも、人々は誤解をして、なかなか、受け取ろうとしないのが現実です。サタンは、隙があれば、仲たがいさせようと計略を練ってきます。サタンの計略が打ち砕かれるように祈りましょう。そして、私たちの間に、兄弟姉妹として、真の信頼関係が築かれるように、お祈りしていきたいと思います。清宣教師