昨日の24章では、神殿の奉仕にあたる祭司たちが、24組に分けられて、それぞれのくじ引きで、奉仕の担当の順番が定められました。その際、かしらもその弟も差別なく、くじ引きで奉仕の順番を決めました(24章31節)。
今日の25章では、ダビデが神殿の賛美礼拝の奉仕者を立てたことが記されています。具体的には、アサフとヘマンとエドドンという3人の指揮者を立てました。その3人の指揮者のもとに、1組12名で、24組の奉仕者グループを立てました。つまり、総勢288人の人たちでした(7節)。彼らは、それぞれの指揮者のもとで、シンバル、十弦の琴、竪琴を手にして神殿で賛美を歌う役割でした。彼らはみな主に捧げる歌の訓練を受けた人たちでみな一定のレベルに達した人でした(7節)。その中には、達人も弟子もいました。また、下の者も上の者もいました。ただし、神殿での任務にあたるということにおいては、達人も弟子も、下の者も上の者も差別なく、24組のものがみな同じように任務のためのくじを引きました(8節)。なお、彼らには賛美の奉仕と共に預言をする役割もあったようです(3節)。こうして、神殿で奉仕をする人たちが、公平に決まりました。彼らの指導の下に、総勢4000人の賛美の奉仕者たちが備えられていました(23章5節参照)。すべてが組織的に整えられていました。つまり、混乱することなく、秩序に基づいて奉仕がなされました。それは創造主が混乱の神ではなく、秩序ある神であるからであると思われます。
これらの記事から分ることは、今日の教会でも、奉仕をする人たちは、一定のレベルに達するように訓練を受けることが必要です。しかし、それ以上のことは問われず、達人も弟子も、上の者も下の者もみな、等しく奉仕者として用いられるのが原則であると考えられます。ただし、その場合でも、組織的に、秩序正しい方法で、奉仕がなされるように配慮される必要があることを示唆していると思われます。
清宣教師