神殿奉献の祈りを終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと数々のいけにえを火で焼き尽くしました。それは天と地を創造された神が生きておられるという現われでもありました。そして、主の臨在を象徴する主の栄光が主の宮に満ちました。それで、祭司たちは宮に入って奉仕することが出来ませんでした。前にも記しましたが、まことの礼拝では、人はみな、ただ、ひれ伏して主をほめたたえる以外になすすべを知らないのです。主の栄光は圧倒的です。ソロモン王は、牛2万2千頭、羊12万匹を捧げました。こうして、人々は神の宮を奉献しました。祭司も、レビ人も、楽器をもって賛美しました。そして、ソロモンと民たちは、7日間の祭を行いました。それから、心楽しく、それぞれの住まいへと帰って行きました。こうして、奉献式は無事に終わり、民たちも帰り、静かな日常生活が戻ってきました。
そして、その夜のことでした。主がソロモンに現われて、親しく語られました。それは祝福と呪いの契約でした。主に仕えるなら祝福が、主に背くなら災いが訪れるというものでした。主の民となるということ、それは主なる神の前に契約を結ぶということです。主は真実なる神であり、永遠に変わることがないお方です。しかし、人間はなんと、裏切り易く、変わり易い者でしょう。それでも、主は真実を尽くしてくださいます。ですから、悔い改めるなら、それを受け入れて下さいます。私たちはすでに、ソロモンの後の時代の事を知っています。神殿を奉献した時の出発点は良かったのです。しかし、その後、人々は高慢になり、主に背きました。エデンの園でも、人類の出発点は良かったのです。しかし、人間は、高慢な存在であり、堕落しやすいものです。主に背を向けて生きる道を選んでしまいました。多くの人にとって、結婚式の誓いをした出発点は良かったのです。しかし、いつのまにか、離婚するまでに憎しみ合う仲となってしまうことが少なくないのです。それが人間のプライド、自己中心、高慢の表れなのです。イエス・キリストの救いは、私たちをへりくだらせ、神に頼る者へと変えて下さいます。神を侮る者となることなく、いつまでも、へりくだるものとなりましょう。お互いに祈り合いましょう。
清宣教師