今日の個所では、ヨタムが王となりました。16年間、南ユダを治めました。「彼はすべて主の目にかなうことを行った」(2節)と記されており、最期まで主に従った王様でした。これは今までの善王とは違います。いかに善王であっても最後には高慢になり主の道から離れるのが今までの善王のパターンでした。しかし、今回はその記述はありません。ほんとうに、スカッとしますね。さらに、6節には、「ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」と記されています。ヨタムは25歳から41歳までの比較的短い治世でしたが、他の王のように自分の力を誇るまでに至らず、最期まで主に仕えることができたことは感謝です。ウジヤの場合のように52年間という長期にわたり政権にたずさわることは腐敗を生むことが多いので祝福とは言えず、ヨタムのように16年間という短い治世でしたが、その人生は祝福に満ちたものでした。ヨタムは、治世がうまくいっても、これまでの善王のようには高慢になりませんでした。その違いは、6節に記されているように「主の前に、自分の道を確かなものとしたからである」。「確かなものとした」とは「自分の道を確立した」という意味です。「この道を歩んで揺るがない」、「この道を堅持した」ということです。 
中国のことわざに、「創業は易し守成は難し」ということばがあります。例えて言えば、チャンピオンになるのは誰もがなれることではなく、至難のわざです。しかし、そのチャンピオンの座を守り抜くのは、その幾倍もの至難のわざです。偉大な仕事を始めるというのは至難のわざですが、それを継続するのは、その幾倍もの至難のわざです。私は、この中国のことわざを高校生の頃、初めて聞いたように思います。それ以来、心の中にずっととどまっています。なにかをはじめるとき、私の心の中に覚悟をあたえることばでした。ところで、ヨタム王様は、「自分の道を確立した」ということですから凄いです。私たちの場合は、決心してもすぐ失敗します。しかし、主の恵みは、七転び八起きの恵みです。たとい失敗しても、もう一度、起き上がって実行すればよいのです。サタンは、「お前はダメなやつだ」と否定的なことばで私たちを意気消沈させます。しかし、聖霊様は「大丈夫、また、一緒に始めよう」と起き上がらせてくださいます。何度でも、起き上がれば、私たちの道も確立します。それでよいのです。アーメン!清宣教師