ユダヤの暦で第7の月(現代の暦の9月~10月の時期)に入ると、イスラエルの民たちがみな、自分たちの町々からエルサレムに集まってきました。なぜなら、モーセの律法に、、第7の月は1日が「ラッパが吹き鳴らされる日」、10日は「贖罪の日」、そして15日から年間の3大祭りのひとつである「仮庵の祭」の季節であったからです。民はいっせいに集まってきました。「いっせいに」とは、直訳では、「ひとりの人のように」となります。バビロン捕囚から帰還して最初の主の例祭ですから、いっせいに、エルサレムの都に上ってきたのでした。祭司ヨシュアと指導者ゼルバベルのもとで、イスラエルの神に祭壇を築いて、いけにえを捧げました。その場所は、もともと、ソロモンの神殿のあった場所でした。7月1日から全焼のいけにえを捧げましたが、まだ主の神殿の基礎は据えられていませんでした。この時は、民たちで主への祭を行いましたが、神殿は出来ていませんでした。それから、半年後、冬を越して翌年の2月に、神殿の再建の工事が開始されました。建築師たちが主の神殿の礎を築いたときに、ダビデ王の時代に定められた規定に従い、祭服を着た祭司たちがラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルをもって、主を賛美しました。そして、民たちは大きな喜びに包まれて、大きな声で主をほめたたえました。一方、バビロン捕囚の前のソロモンが建てた神殿を見た事がある老人たちは、特別に感極まって泣いたようです。あるいは、今回の神殿の規模がソロモンの神殿に比べてみすぼらしかったのかも知れません。彼らは激しく泣いたのでした。喜びの声と泣き声が入り混じって、区別が出来ませんでしたが、とにかく、その声は遠くまで聞こえたのでした。長い期間、バビロン捕囚という苦境に置かれた民が解放されて故郷に帰り、心を一つにして建てあげた神殿でした。神殿の再建は、イスラエルの歴史の再建の第1歩でもありました。私たちも、長い間の放蕩息子のような人生をやめて、イエスを信じて、バプテスマを受けて、神の子としての新しい人生の第1歩を踏み出しました。それは、もともと、創造主なる神が、私たちにいのちを与えた時の最初からの計画に立ち返ることでした。そういう意味で、私たちの人生の再建の第1歩ということが出来ます。人生の終わりまで、真の目標を目指して、一心に走り抜こうではありませんか。清宣教師