バビロン捕囚から解放されて帰還したイスラエルの民たち(その主体はユダ族とベニヤミン族)でしたが、そこには、捕囚の間に、アッシリヤの政策によって、他所から連れて来られた民たちが住んでいました。そして、その移住してきた多民族と、そこに残っていたイスラエル人たちとの間に混血の民族が生れました。それがサマリヤ人と呼ばれる人たちでした(列王記、第2、17章24節参照)。サマリヤ人たちは、自分たちも神殿建設に加えて欲しいと申し入れましたが、ゼルバベルと一族のかしらたちは、それを断りました。つまり、サマリヤ人は混血の民であり、神の民ではないと判断したからです。それを境に、サマリヤ人を含む土地の人たちは、バビロン捕囚からの帰還民による神殿建設を阻止しようとして、あらゆる手立てを講じて反対するようになりました。具体的には、議官を買収し、参事官や書記官を通じて、アルタシャスタ王に手紙を書きました。いかにも王の損失を見るにみかねての訴状であるような内容でした。アルタシャスタ王は、その訴状をみて、イスラエルの民の歴史を調べさせて、イスラエルの民が反抗的な民であったことを知り、エルサレムにおける神殿の建設を中止させるように命じました。その書状の写しが現地に届き、結局、エルサレムにある神の宮の工事は中止に追い込まれました。ダリヨス王の治世の第2年まで、つまり、神殿再建の工事は16年もの間、中断されたのです。今日の個所は、主が奇蹟をもってバビロンの捕囚から解放した民たちが、エルサレムで主の神殿の再建に着手しようと思った時の出来事でした。主の神殿の再建は、主のご計画であり、そのように信じて、堅く使命に立った人たちが行動を起こしたのですが、敵の手によって中断させられたのでした。こんなことが起こるはずがないと思われる出来事です。でも、実際に中断させられたのです。明らかに主の召しによって立てられ、主の使命を果たすために立ち上がって行動を起こしたとしても、敵の手によって中断させられる場合があるということを示しています。この世の王であるサタンは、巧妙にはかりごとをめぐらして、妬みを持つ者や敵意を持つ者たちを利用して、神の民の計画を中断させようとして働いてきます。そのときに、あきらめないことが肝要です。16年間は長い期間です。イスラエルの民たちは次第に諦めにならされていくのです。でも、あきらめない人たちが残されていました。主はその人たちを用いて再び、行動を起こされます。清宣教師