聖書の中で、女性の名前が書名として用いられているのは、この「エステル記」と「ルツ記」のふたつだけです。エステルとは、「星」を意味するペルシャ語です。エステルのヘブル語の名は、「ハダサ」でした(2章7節)。ハダサとは、ミルトスを意味しますが、ミルトスは芳香のある葉、白く美しい花を咲かせる常緑の灌木です。エステル記の時代背景ですが、バビロン捕囚から帰還して、ほぼ、半世紀が過ぎていたころの出来事です。アハシュエロス王は、別名クセルクセス王ともよばれています。ペルシャ帝国の首都シュシャンの宮中での出来事でした。シュシャンは、ペルシャ帝国の首都であり、王は、主に冬と夏をこの宮殿で過ごしたようです。アハシュエロス王は、紀元前486年に即位して、465年に暗殺されています。21年間の治世でした。1章3節には、その治世の第3年と記されていますから、紀元前483年の頃の出来事と考えられます。ところで、このエステル記のもうひとつの特徴は、主の御名が一度も記されていないことです。しかし、神の御名は記されていませんが、ひとつひとつの出来事の中に、神の驚くべき摂理の御手を見出します。それで、ある注解者は、この書を「ご自身を隠されたお方の物語」と呼んでいます。さて、1章では、ペルシャ王が127州の首長たちや家臣を集めて、大宴会を催しました(1節~8節)。一方、王妃のワシュティも王宮で婦人たちのための宴会を催していました(9節)。その中で、アハシュエロス王は、王妃ワシュティを宴会に呼んで、その美しさを首長たちに見せようとしました。しかし、ワシュティは王の命令を拒みました(12節)。このことが、大問題となり、アハシュエロス王は、法律に詳しい知恵のある者たちを招集して、王妃ワシュティに対する処分について相談しました(15節)。王国の最高の地位に着いていたメムカンが代表して、答申しました。その案の骨子は、もし、このまま、王妃ワシュティに対して何も処分しないなら、すべての首長の夫人たちも夫を軽んじるに違いない。それで、王妃ワシュティを王妃の位から退けて、2度とワシュティは王の前に出てはならないという勅令をだし、ペルシャとメディアの法令の中に書き入れ、新たにワシュティよりも優れた女性に、王妃の位を授けるのが良いという中身でした。この答申は、王と首長たちの心にかなったので、その通り、実行されました(21節)。そして、この決定は、すべての州に伝えられました(22節)。王妃ワシュティの行動については、王は、極度に酔っており、座興のひとつとして、全裸に近い姿で来るように命じたのではないかとも言われており、王妃としての尊厳を守る正しい決断であったとする意見と、従うべきだったという両方の意見があります。いずれにせよ、この騒動の背景には、宮中での権力闘争があったと考えられています。
今日の個所では、当時の最高の権力者たちの贅沢な生活ぶりが記されています。偉い人たちが集まって、毎日、宴会をしています。そして、この世の多くの人たちは、天の御国には偉い人が入るものと誤解しています。それは間違いです。天の御国には、偉い人はひとりもいません。幼子のように、自分を低くする者、心の貧しい人、悲しむ人、柔和な者、義に飢え渇く者、あわれみ深い者、心の清い者、平和をつくる者、義のために迫害されている者たちです。清宣教師