さて、3章に入ると、突如、ユダヤ人の敵であるアマレク人の子孫のハマンが登場します。しかも、アハシュエロス王に重んじられて総理大臣に就任するという展開でした。4年前にはエステルが王妃となり、ユダヤ人にとっても平安な時を過ごしましたが、その間もサタンは背後でユダヤ人の撲滅を企てていました。そして、その企てが表面化してきたといえます。ハマンは、なぜ、ユダヤ人の敵であるかというと、彼はアマレク人の王、アガグ(サムエル記第1,15章8節)の子孫でした。アマレクと言えば、「主は代々にわたってアマレクと戦われる」(出エジプト記17章16節)と記されています。その時の経緯は次のようでした。イスラエルの民がエジプトから脱出して荒野を旅している時のことでした。、イスラエルの集団の中で、幼い子供たち、老人、乳呑児を抱えた母親、病人たちが、遅れがちになり、行列の最後尾になり、さらに、遅れがちになりました。そのとき、それを見たアマレク人が、最後尾のまったく無防備な最も弱い者たちを襲ったのです。それでアマレクはユダヤ人の敵として覚えられるようになりました(申命記25章17節~19節参照)。
エステル記3章に戻りますが、ハマンが総理大臣になったとき、ユダヤ人のモルデカイは、アマレク人の子孫であるハマンに対して、ひざもかかめず、ひれ伏そうともしませんでした(3章2節)。それを知ったハマンは、怒りに燃え、モルデカイだけではなく、ユダヤ人を皆殺しにしようと計画しました。その背後にはサタンの誘導があったと考えられます。ハマンは総理大臣として、しかも、アハシュエロス王に重んじられていることを利用して、ユダヤ人を撲滅するための計画を立てました。それはアハシュエロス王の治世の第12年の1月のことでした。ユダヤ人撲滅の計画を決行する日を決めるために、くじを投げました。そのくじは、その年の12月にあたりました。それでハマンは、ペルシャ王の名を借りて、「ユダヤ人を12月の13日の1日のうちに、ユダヤ人を根絶やしにし、財産をかすめ奪え」との法令を各州で発布するように命じました。これを知ったシュシャンの町では、大混乱に陥りました。そして、王の命令と法令が届いた諸州でも、ユダヤ人のうちに大きな悲しみが起こりました(4章3節)。
私たちは一見平和に見える状況においても、サタンは背後において神の民に敵対する計画を準備しているということが分ります。油断は禁物です。絶えず目を覚まして祈りなさいという勧めは真実です。しかし、敵が猛威を振るう時が来たとしても、神の御計画は盤石です。9回裏の大逆転、神の御計画に抜かりはありません。
これから、ユダヤ人は、とても深刻な状況に追い込まれます。それを主はどのように解決して下さるのでしょうか? エルサレムから遠く離れた異教の地において、契約の神の御名が一ヵ所も記されていないエステル記ですが、しかし、神の御手は確実に主の民と共にあったのです。私たちも、主に期待しましょう。
清宣教師