きょうからヨブ記に入ります。ヨブ記は知恵文学に属すると言われています。
1章では、ヨブが潔白な人物であることが紹介されています。具体的には、「神を恐れ、悪から遠ざかっていた」と記されています。それで、神様は「ヨブ」と「その家族」と「その家財」を祝福され、東の人々の間で一番の富豪となりました(1節~5節)。主は、10節に示されているように、ヨブのまわりにバリア(垣)をめぐらして、「ヨブ」と「その家族」と「そのすべての持ち物」を守られたからです。次に、天上における出来事が挿入されています(6節~12節)。天使たちが集まる会議において、サタンが天使たちに紛れて神の前に出てきました。そこで、神はサタンに対して、「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか」と質問します。それで、サタンは「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」と反論しています。つまり、サタンは、ヨブが「いたずらに」神を恐れることはない、ご利益があるからこそ、神を恐れているのだと主張しました。ヨブの周りにある神の守りの手を外して、彼の持ち物を打つなら、ヨブはきっと神を呪うに違いありません、と言い返しました。それに対して、神は、それでは、ヨブの持ち物をあなたの手にまかせよう、と言ってサタンの攻撃を許しました。そこで、サタンは、シェバ人を用いて、ヨブの財産を奪いました。さらに、カルデヤ人を用いて、財産を奪い、若い者たちを剣にかけて殺しました。さらに、大風を用いて、ヨブの7人の息子と3人の娘のいのちを奪いました(13節~19節)。こうして、とんでもない災難がヨブの上に降りかかりました。ところが、ヨブは、地にひれ伏して神を礼拝し、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言って、神に対して罪を犯さず、愚痴をこぼすこともありませんでした。地上での出来事だけを見るなら、潔白なヨブの身の上に起こったことは、到底、説明できるものではなく、理不尽な災害でした。なぜ、その災害を神が許されたのか、理解できないものでした。ところが、ヨブは一切を神に委ねて、神を呪ったり、非難することはありませんでした。
私たちには、あらかじめ、天においてどのような出来事があったのか、示されています。隠されているのではなく、舞台裏まですっかり、明らかになっています。ですから、ヨブの身の上に起きた理不尽な災害は、主のしもべであるヨブに対する神様の絶対的な信頼から起きたものであることを知っています。しかし、ヨブはそのことを知りません。ですから、このあと、ヨブは、天上でのサタンと主との対話を知らないので、非常に苦しみ続けることになります。いわれのない苦しみの意味をどのように受け留めたらよいのか、ヨブ記は、私たちに啓示してくれます。それは、とりもなおさず、聖なる神の御子が、この世において、いわれのない十字架刑という死の苦しみを受けるに至る出来事を理解する鍵を提供しています。
今日の聖書箇所は、主が私たちのまわりに、つねに、3重のバリア(垣)をめぐらして、サタンから守って下さっていることを教えています。主が今日も、私たちのまわりにバリアを設けて、サタンの攻撃から守って下さることを感謝します。清宣教師