7章はヨブのことばの続きです。1節~6節では、地上の人生の空しさを、日雇い人や奴隷のその日暮らしの生活に例えています。ヨブ自身は主のしもべとして生きてきたけれども、支払われた賃金は苦しみの夜であり、腐れた肉体であり、その日の賃金を得ている日雇い人や奴隷よりも空しい状態にあることを訴えています。7節~10節では、ヨブは、自分の存在が息のようにはかないものであることを訴えています。11節~21節では、ヨブは主に向かって語りかけています。「わたしにかまわないでください。」(16節)、「わたしを見張らないでください」(12節、20節)。神は私を敵であるかのように見張られるのは、どうしてですか? 私の中にそれに相当する罪があるのですか? しかし、たとい罪があるとして、あなたは恵みによって私の罪を赦し、不義を除いて下さるお方ではありませんか、とヨブは必死で神に訴えています(20節~21節)。ヨブは、主の恵みからも遠ざけられていると感じて苦悶しています。最初の1章と2章の出来事を知らないヨブにとって、この地上での不幸な出来事は、まったく、理解できないことでした。さらに悪いことに、天上における出来事を知らない3人の友達によって、因果応報の原理に基づいて、神に対する反逆者として厳しく攻めたてられることになったのです。主のしもべはみな、このような苦悶を経験することが多いのです。エレミヤもイザヤも、多くの主の預言たちは、このような苦悶を経験しました。それは完全な主のしもべであるイエス様にならうものでした。
今日の個所から教えられることは、私たちもまた、主のしもべであるなら、ありもしないことで攻めたてられ、悪口雑言を浴びせかけられることを、あらかじめ覚悟しておくことが必要です。そして、そこには天上における大きな報いが伴うのです(ペテロの手紙、第1、2章19節~21節参照)。
清宣教師