1節~6節:ヨブに言わせれば、ヨブの友達が考えているようなことは良く知っているし、災いで悩んでいるのではない。因果応報の原理にたっている者は、自分が無事で安全であると自分が義人であるかのように振舞い、苦しんでいる者や病気の者を罪ある者として裁いてしまう傾向がある。そして、実際、ヨブを裁いている。しかし、因果応報の原理ですべてが決まっているのではない。現実には荒らす者や悪者が安らかで、潔白な者をさげすむこともある。7節~12節:創造主が造られた被造物の世界をみるとき、獣に尋ねても答えがあり、空の鳥に尋ねても答えがあり、地に尋ねても答えがあり、海の魚に尋ねても答えがある。すべての被造物は、自分が主の御手によって造られた者であること、また、その存在は、主によって保たれていることを証ししている、という。「獣に尋ねてみよ。それがあなたに教えるだろう。空の鳥に尋ねてみよ。それがあなたに告げるだろう。あるいは地に話しかけよ。それがあなたに教えるだろう。海の魚もあなたに語るだろう。これらすべてのもののうち、主の御手がこれをなさったことを、知らないものがあろうか。すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある」。まさに、ローマ人への手紙1章で、使徒パウロが宣べている通りです。「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」。作品が存在することは、作者が存在することを証している。また、作者の品性をも証するものである。だから、この世界には、無数ともいえる創造主の存在の証拠が存在している。13節~25節:神の知恵と力とは神のものであり、神はその知恵と力をもって、自然も人間も治めておられる。人間は、すべてを全能の御手をもって治めておられる、この創造主を知る知恵をこそ、持つべきである。
今日の箇所から教えられることは、神が創造された世界には、神がおられるという無数の証拠があるということである。それは、無限の叡智と愛をもって造られた神の作品である。若いうちに、創造主を覚えることは、とても大事である。それが真の知恵の始まりだからである。創造主を知ることが、人生の土台であり、出発点である。そうすれば、年老いてから「なんの喜びもない」と嘆くことにはならないのである(伝道者の書12章1節)。清宣教師