15章から、ヨブの友だちが第2順目の論争を仕掛けてきました。その前に語られたヨブの答え(12章~14章)に対して、友人たちは耳を傾けず、ヨブに問題があるとする姿勢を貫き、むしろ、ヨブを慰めるというよりも、自分たちの立場を守ろうとする姿勢に転じて、もはやヨブに対する思いやりの姿勢などは影をひそめてしまいました。ともかく、ヨブが不敬虔であり、高慢であり、ヨブは、その悪の結果を刈り取っているのだ、それを否定するヨブはもはや神の徹底した裁きを受ける以外にないと断じています。ヨブは3人の友達との対話の中で、批判され、裁かれ、追い詰められ、孤独にさらされます。これこそサタンの戦略であり、ヨブを神への信仰から引き離そうとする戦略でした。しかし、そのことが、神のしもべであるヨブをますます神へと追いやるのです。サタンのもくろみは崩れましたが、しかし、主なる神にとっては思惑通りでした。ヨブは苦しみの中でも主のしもべであるという立場を放棄することがなく、孤独の苦しみの中で、神との交わりを必死に求め、新しい悟りへと少しずつ、少しずつ、導かれていくのです。つまり、このあと、「仲裁者の存在」、「復活の望み」という新たな信仰の拠り所を得るようになります。
今日の箇所から教えられることは、まわりの人たちが、次から次へと、私たちを非難するとき、しかも、誰ひとり、自分を弁護してくれる人がいないとき、私たちは、神のしもべである、という立場を決して放棄してはならないということです。「あなたがたが、わたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、任命したのです。」というイエス様のみことばを握りしめましょう。
清宣教師