17章1節~5節では、16章18節~22節で語ったことを、別のことばで表現しています。1節では、苦悩のゆえに、死が近づいていると述べています。ヨブは、天の法廷においてヨブの友人たちを訴えています(2節)。ヨブが潔白であることを保証してくれるはずの友人たちがむしろ、ヨブを嘲り、ヨブを罪に定める役目を果たしているという状況のもとで、ヨブは、天の「保証人」しか、より頼むべきお方はいないという信仰を言い表しています(3節)。ヨブは、自分が受けている辱めについて述べ(6節~10節)、また、現実の厳しい状況について述べています(11節~14節)。しかし、ヨブは限りない絶望の淵に追い詰められても、なお、望みがあることを言い表して、この論争を閉じています(15節、16節)。ヨブの望みは19章でさらに明らかにされていきます。
今日の聖書箇所から教えられることは、ヨブが「私を保証する者」(3節)を神は天において備えて下さる、と確信していることです。どうして、そのように信じることが出来るのでしょうか。ヨブは、神ご自身がそのようなお方であることを知っているからです。神は、因果応報の原理のようなものではなく、あわれみと恵みに満ちた生ける神であることを知っているからです。きょう、恵みと愛に満ちた主は生きておられます。
清宣教師