25章では、友人のビルダテが、短く答えています。もはや悪人の行く末については話題になっていません。ビルダテは神の支配は完全であると述べています(2節~6節)。しかし、これはすでに、エリファズが4章17節~21節、15章14節~16節において述べたことの繰り返しになっています。もはや、ビルダテは、ヨブが問題としていることについて答えを提供することが出来ずに、黙ってしまう以外になかったのです。次の26章で、ヨブと3人の友人たちの論争は、終わることになります。
今日の聖書箇所から教えられることは、ある意味、ビルダテが言っていること(2節~5節)は、アーメンと応答したくなる程です。しかし、ビルダテのように、神のみことばを自分の立場を有利にするために利用しているだけなら、つまり、自分を高め、相手を見下すために、みことばを用いるなら、それはサタンの模範にならっているに過ぎません。正しい用い方が大事です。「預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します」(コリント人への手紙、第1、14章3節)。
清宣教師