32章では、3人の友人とは別に、年の若いエリフがヨブに向かって語りかけています。3人の友人たちに対して、ヨブを罪ありとしながら、ヨブの弁明に対して何も言い返すことが出来なかったことを批判しています。そして、ヨブに対しては、ヨブが神よりも自分の主張が正しいと主張している点について、その点を取り上げて、ヨブが正しくないと論じています。32章の6節~14節は、ヨブの友人たちに対する批判のことばです。15節~22節において、エリフは自分に悟りを与えた神の霊により、新しいブドウ酒の皮袋のように、今にも張り裂けようとしていると述べて、自分が語らざるを得ない心境を語っています。そして、エリフは33章で、いよいよ、ヨブに語りかけます。最後の42章において、ヨブの3人の友人たちは、主によって罪ありとされています(42章7節~9節)。しかし、32章で登場したバラクエルの子エリフについては、なんの言及もありません。「エリフ」とは「彼は私の神である」という意味を持っています。エリフは年が若かったようです(4節)。3人の友人たちが、因果応報の原理の土台に立って、ヨブを罪ありとして攻めたてましたが、エリフが怒りを燃やしたのは、「ヨブが神よりも自分自身を義とした」ことであり(2節)、また、3人の友人たちが、ヨブの主張に対して「言い返すことが出来なかった」(3節)ことでした。つまり、エリフは、ヨブを全面否定しているのではなく、ヨブが罪を犯さないように配慮しているのです。それを主は良しとされたようです。
今日の聖書箇所から教えられることは、エリフのように、年が若くても、真実を見抜き、真実を求めることが出来ることです。ある場合は、3人の友人たちのように、自分の人生経験や学びがすべてを決めてしまう恐れがあります。年が若いと経験や知識に不足していることもありますが、自分自身の体験や偏見にとらわれず、フレッシュなものの見方をすることができます。きょう、主の前に、リフレッシュしていただきましょう。
清宣教師