37章では、エリフが、36章の終わりの部分に続くもので、雷鳴のことを取り上げている。1節~13節において、エリフは私たちには支配出来ない、恐ろしい雷や稲妻、そして、雪や氷、冬の寒さなどを例にあげています。人間にとっては、恐ろしい雷鳴や雪や氷や寒さであっても、その背後には、神のご計画があること、そして、神のみわざは測りがたいこと、また、神はご自分の御心のままに、御計画の通りにみわざを成し遂げられる方であることを強調しています。そのあと、14節~24節において、「これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。」とヨブに直接、語りかけています。エリフは、神が創造者であること、その被造物に秘められている神の叡智を考えて、神の前には高慢になることなく、へりくだるように勧めています(24節)。エリフは、神の知恵と力が人間には計り知れないものである事、しかし、そうであっても、神のみこころは、恵みと憐みに満ちたものであり、人間の目には理解できなくても、信頼すべきことを示しました。つまり、ヨブの受けている苦難は罪の結果としてではなく、別の意味があるに違いないと指摘したのです。ですから、ヨブはあえて反論せずに、聴いていました。しかし、神のしもべとしてのヨブの根本的な求めには答えることが出来ませんでした。そこで、遂に、次の章において、主ご自身が登場されます。
今日の聖書箇所から教えられることは、やはり、問題の解決のために、真の信仰の友を必要としたとしても、最終的には主ご自身に導かれるということです。エリフとの話し合いは、ヨブを創造主に導くための呼び水のような役割を果たしたものと思われます。お互いに、そのような役割を果たしたいと思います。
清宣教師