ヨブに対して、38章1節から、主は語りかけられていますが、今日の40章の1節と2節は、これまでの主のことばの結びのことばです。そして最後に、ヨブに問いかけています。今度は、ヨブが答えなければならない立場に立たされました。そこで、ヨブは答えます。それが3節~5節のことばです。「ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう」。ヨブは全能にして創造者である神の前に、もはや何も言うことが出来ず、「二度と私は繰り返しません」と述べました。それに対して、主なる神は6節~24節(実際には、41章34節まで)において、再び、あらしの中からヨブに語られ始めました。3節~5節のヨブの答えは、ヨブの心からの応答であり、主に受け入れられましたが、もうひとつの問題が残っていました。それは、8節の主のことばに記されていますが、「自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか」という点でした。この点を取り上げて、主はヨブに迫っています。そして、9節~14節において、主は、高ぶるものを低くされる神であることを強調しています。そして、もしヨブが主を裁くのであれば、ヨブは、主よりもさらに力強い腕をもっていなければならないこと、また、悪者たちを踏みにじる力をもっていなければならないことを示されました。そして、ヨブよ。あなたにはそのような力があるのか、と問うのです(14節)。もちろん、ヨブにはそのような力はありません。結論は主だけが、裁きをなさる力があり、高ぶるものを低くされる唯一のお方であることを明らかにされます。
15節では、「河馬」と訳されていますが、へブル語の言語では、「ベヘーモート」(発音は注解書によって異なりますが)と記されています。ヘブル語の旧約聖書の本文では「ベヘーモート」は9回用いられています。日本語の聖書では、「獣」「動物」「家畜」などと訳されています。この15節のべヘーモートの場合は、強意の複数形が用いられており、それにかかる動詞は単数形の動詞です。つまり、ひとつの「巨大な生き物」を示しており、「巨大な生き物」と記すのが、原語に忠実な訳語となります。創造科学の研究者たちは、これはまさに、「河馬」ではなく、「恐竜」であると考えています。これこそ、神が造られた「第1の獣」(19節)という表現にふさわしい生き物です。では、なぜ、「恐竜」と訳さなかったのかと言いますと、英語の定本である欽定訳聖書は英国で発行されたのが1611年でした。恐竜の化石が発見されたのが1822年のこと、リチャード・オーエンがその化石の動物に対して名付けた名称が「恐竜」でした。それは1841年のことです。ですから、英語の定本となる欽定訳聖書が登場した時には、「恐竜」ということば、そのものが存在しなかったのです。それで、最近発行された創造主訳聖書では、「恐竜」と訳されています。ハレルヤ!
今日の聖書箇所から教えられることは、聖書の本文を良く読んで理解することです。「これは神が造られた第1の獣」(19節)という表現や他の表現から、ビルの4階の窓から頭を入れることが出来る恐竜のような存在こそ、まさに、ふさわしい存在です。河馬ではありません。きょうも、創造主のみわざに心を向けて、1日を元気に過ごしましょう。清宣教師