詩篇の第2篇は、一般に「王の即位」の詩篇と言われていますが、おそらく、ソロモン王の即位のときのものと考えられます。新約聖書では、「王の王」であるイエス・キリストの王国の最終的な勝利を預言するものとして引用されています。1節~3節は、諸国の王たちの反乱の姿、4節~6節は、天におられる神のご計画、7節~9節は、神から油注がれた王のことば、10節~12節は、いのちとさいわいへの招きのことば、となっています。諸国の王たちは、主と主に油注がれた者に対して敵対して、その支配から抜けようとします。しかし、天におられる主は、ご自分のしもべとして王を立てられた方です。そして、ご自分が立てられた王に対して、「きょう、わたしがあなたを生んだ」と宣言されます。つまり、この世の王とは、本来、天におられる主によって立てられるべきものです。「わたしの子」とよばれるように、養子縁組として、この地上に王として立てられるのです。このように、地上の王とは、天におられる神のみこころを行う者として、天のまことの王である主によって選ばれ、任命される者なのです。そして、「わたしに求めよ」と語られます。油注がれた王は、天の神の前に特別な存在として覚えられているのです。9節の「鉄の杖」とは、黙示録12章5節で引用されていますが、強い杖であると同時に、正義と公正の杖でもあります。謀反を企てる者は、この杖によってことごとく打ち砕かれます。そこで、10節からは、この地の支配者たちに対して、天の神が立てられた王に対して、尊敬と恐れを持って仕えるように勧めています。「御子に口づけせよ」とは、天の主なる神の代行者として立てられた、この地の王に尊敬と服従を表すようにとの勧めです。かつて、イスラエルの王国が、主が立てられた王のもとで、平和と繁栄を享受したように、全世界は、やがて来たるべき真の王であるメシヤ(キリスト)の支配のもとで、まことの平和と幸いにあずかるのです。
今日の聖書箇所から教えられることは、主に油注がれたキリストに従うことの幸いです。この世の人は、キリストを知りません。しかし、私たちはキリストを知っています。私たちを贖い、私たちを回復して下さったお方です。全世界の国々の指導者たちが、主に従うことが出来るように執り成し、祈りましょう。清宣教師