1節において、ダビデは、「主よ。」と主なる神様に直接、語りかけています。どんな人が、神との交わりの中に導き入れられるのでしょうか? ダビデの関心をひく大事な問いでした。同時に、神の民を代表する真剣な問いかけでもありました。そして、深く黙想して、主のこたえを待ち望んだようです。そして、遂に、主から答えをいただきました。
2節において、ダビデは、主からいただいた答えを記しています。これはダビデだけに語りかけたのではなく、神の民への語りかけでありました。ですから、喜びをもって、民に語り告げたことと思われます。神との交わりの中に導き入れられる人とは、「正しく歩み続ける人」、「義を行い続ける人」、「心の中の真実を語り続ける人』です。なぜなら、主ご自身が、そのようなお方だからです。これに関連したみことばがあります。預言者ミカは、「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公儀を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」(ミカ書6章8節参照)と述べています。語られた時代は異なりますが、原則は同じことを表しています。3節の「そしる」には、「歩き回る」という意味もあります。歩き回って人を中傷し、言いふらすことを指しているようです。「そしらず、悪を行わず、非難を口にしない」ことが求められています。4節では、真実を識別する生き方です。また、損得勘定で誓いを変えたりしない生き方です。5節では、社会生活における秩序と倫理の基盤である公正・正直・潔癖の具体例を示していると考えられています。
今日の聖書個所に関連して思い出されるのは、韓国の創造科学研究会の初代会長であり、ハンドン大学の初代総長であるキム・ヨンギル博士が、世界を変える次世代の人材養成の土台として創造主の秩序を土台とした教育を掲げていることです。それは、「正直」「誠実」「謙遜」の3つの品性を備えた卒業生を社会に送り出すことでした。私たちの日本でも、これらの品性がいま、求められていると思います。
清宣教師