今日の41篇1節では、「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。」とありますが、この世で最も弱っている者に心を配るお方は、それはどなたでしょうか? まさに、御子イエス様のことを表しています。イエス様は次のように宣言されました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)。また、次のように記されています。「イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイの福音書、9章35節、36節)。その一方で、邪悪な者たちもいます。そして、神のみこころを行おうとしている者たちを誹謗中傷して、滅びに向かわせようと企みます(5節~9節)。
今日の聖書箇所から教えられることは、誠実に生きていても、邪悪な人たちはいるということです。しかし、そういう人間関係の中でこそ、誠実な生き方をすることが、主イエス様に似る者として、イエス様の御姿を反映する生き方であることを覚えます。「誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。」(12節)。これこそ、神の御子の栄光を鏡に映すようにして、栄光から栄光へと変えられる生活です。聖霊様は、いつも、私たちの内に働いておられます。
いよいよ、クリスマスも近づきました。教会では、「靴屋のマルチン」とか、「四人目の博士」などのこども劇が上演されることが多いです。これらの主人公は、みな、貧しい人たちのために自分自身を捧げた人たちです。それこそ、イエス様のみこころにかなうクリスマスの精神だからです。「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。」この聖句をとくに心にとめて、イエス様のみこころにかなう善い行いを捧げたいと思います。
清宣教師