この詩篇は、「死」に注意を向けさせる詩篇です。1節-4節は、すべての人への呼びかけです。世界中の有名人も一般人も、お金持ちも貧乏な人もみな、耳を傾けて聴くように勧めています。5節―13節は、人生の愚か者について述べています。富に頼り、富を生きがいとする者の愚かさが歌われています。14節―20節は、人生の真の勝利者とは誰なのか、を明らかにしています。そして、16節―20節において、詩篇の作者は、死への備えについて述べています。
現在、日本の国では、2021年9月15日時点で、100歳以上となる高齢者が8万6510人となっています。女性は76、450人、男性は10、060人で、51年連続で過去最多を更新しました。男性は、今年初めて1万人を超えました(厚生労働省の発表)。流行語の中にも「100年時代」ということばがあるほどです。
「100年時代の人生戦略」という本も出版されています。どんどん、超高齢者社会になるといわれています。死を考えることは、生を考えることである、とも言われています。私たちの住んでいる日本では、日々、生と死に関する情報がマスコミを通して洪水のように流れ込んできます。知らず知らずのうちに、その大水の渦に巻き込まれてしますような状況です。それらのほぼ100%は、唯物論や無神論や進化論を土台としたものです。あるいは、聖書を抜きにした宗教や哲学を土台としたものです。ですから、週に一度の礼拝、日々の1日1章の学びは、いのちのない砂漠の中にあるオアシスのようなものです。
今日の聖書箇所から教えられることは、「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい」といわれていることです。この世の流れに乗っかって成功を収めても、その終わりには滅びがあるだけです。生きているなら、流れをさかのぼり、上流を目指すことです。いのちの源である、イエス様のもとで学びましょう。
清宣教師