表題から明らかなように、この詩篇は、ダビデが大罪を犯したあと、真に心から悔い改めて神に赦しを請い、新しい心を創造して下さるように願い求めている詩篇です。1節~4節:罪の自覚と赦しの求め。5節~9節:腐敗した性質と行いの告白。10節~13節:再生への祈り。14節~17節:感謝のいけにえの誓い。18節~19節:義のいけにえの期待。
最初の1節と2節で、「そむきの罪」、「咎」、「罪」と3通りの表現がありますが、それに対応するように、赦しの求めも、「拭い去り」、「洗い去り」、「きよめて」と3通りの表現がなされています。「ぬぐう」とは消し去ること、「洗う」とは洗濯すること、「きよめ」とは、らい病からのきよめの宣言に用いられる言葉です。わたしたちは、主の御口から出る息吹、いのちのことばによって、日々、生きています。ダビデと共に、告白しましょう。「ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗って下さい。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」(6,7節)。「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」(10-12節)。「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(17節)。きょうも、私たちを愛するお方が、みことばをもって、弱っている私たちに語り、再び、立たせてくださいます。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちの神は、聖なるお方です。しかし、愛と憐みと赦しと恵みに満ちておられるおかたです。砕かれた心、悔いた心を捧げる時に、喜んで受け入れて下さるお方です。クリスチャンに絶望はありません。
ところで、1903年12月17日、アメリカのライト兄弟は、フライヤーと呼ばれる飛行機を用いて、ノースカロライナ州キティホーク南約6.4kmのキルデビルヒルズ付近にて初飛行に成功したことが知られています。不屈の精神でチャレンジを続けた結果でした。
清宣教師