ダビデは無実でしたが、サウル王の激しい妬みのゆえに国家反逆罪の烙印を押されて逃亡の身となりました。それぞれの土地で、ダビデのことを理解し、支持する、さまざまな人たちの助けを受けながら、生き延びてきました。しかし、今回は、ダビデが逃避しているジフの地元の人たちが、ダビデを裏切り、サウル王にダビデたちの居場所を密告したのです。今までとは違って、緊急事態となりました。不当なサウル王の仕打ち、サウル王に取り入ろうとするジフの人たち、この連携はとても強力なものとなりました。そこで、ダビデは主に祈りました。よく言われることですが、敵に周囲を囲まれても、一ヵ所、逃れの道があります。それは天の方向です。ダビデは天に向かって、神に祈りを捧げました。「神よ。御名によって、私をお救い下さい。」(1節)。「神よ。私の祈りを聞いて下さい。」(2節)。そして、その祈りは聞き入れられました。サムエル記第1、23章19節―28節に記されているように、ダビデは、危機一髪でサウルの手から逃れることが出来ました。「まことに神は私を助ける方、主は私のいのちを支える方です。」(4節)。主は逆転勝利の神様、9回2死で逆転ホームランを打たせてくださいます。あきらめない。ネバーギブアップ。さて、詩篇には、並行法という技巧が、ふんだんに使われています。これは1行目の内容を2行目で補足、補強する技法です。例えば、1節で、神よ。「御名によって、私をお救い下さい。」と言います。2行目で、あなたの権威によって、私を弁護してください。」と言います。「御名」を「あなたの権威」と置き換え、「お救い下さい」を「弁護してください」に置き換えています。2節では、私の祈りを聞いてください。とありますが、次の行で、「私の祈り」を「私の口のことば」に、「聞いてください」を「耳を傾けてください」に置き換えています。こうして、反復し、分りやすくしています。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちの主は絶体絶命と見える包囲網の中に、脱出の道を備えて下さるお方です。正確に言えば、すでに、初めから脱出の道は備えられていたことを知るのです。そして、私たちは救い出されます。主は生きておられます。それが、私たちの告白です。
清宣教師