今日の表題「遠くの人の、物言わぬ鳩」の調べに合わせて、と記されていますが、これについては、70人訳ギリシャ語聖書では、「聖所から遠く離された人々のために」と意訳し、ユダヤ人の伝承では、「故郷から遠く離されたイスラエル人」を意味すると説明しています。歴史的な背景は、サムエル記第1、21章10節―15節の出来事を指していると思われます。つまり、敵国のただなかで、スパイの嫌疑をかけられるという、極度の恐怖の中で、神のみことばを信頼して、恐れを克服しようとしている(4節、10節参照)心情を歌っています。ダビデは、いろいろな事情で、神殿礼拝から遠く離されて、恐怖の中にいる同胞たちのために、この詩を残していると思われます。8節の「あなたは私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。」と記していますが、私のさすらいとは、ダビデの逃亡生活をさしています。砂漠の中を旅する旅人が一滴の水をも無駄にしないように、主がダビデの涙を一滴も無駄にすることなく大事に保存し、大切なものとして扱って欲しいと祈り求めています。神が悲しみと苦悩の涙を、喜びと祝福の水に変えて下さるという希望があるからです。神を恐れぬ人たちの中で、生き延びるダビデの逃亡生活は、私たち信仰者のこの地上での生活に似ています。私たちもまた、恐れに取り囲まれる時があります。しかし、恐れは神からのものではありません。敵であるサタンからのものです。神から来るものは、神の守りによる平安です。「私は神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。」(11節)とダビデと共に、神に告白しましょう。感謝を捧げることは、唇のいけにえを捧げることです。
今日の聖書箇所から教えられることは、主は真実なお方であるということです。私たちの涙を貯えて覚えておられます。そして、豊かな報いを与えて下さいます。私たちの涙は、決して無駄になることはありません。「あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。」(13節前半)。主は絶対的な主権をもって、私たちを恵みによって扱って下さいます。私たちは神の作品です。そして、神のこどもです。神は必ず、神のこどもたちを守られます。主よ。感謝します。信頼します。あなたに感謝します。
清宣教師