今日の詩篇58篇は、不正な裁き人に対する告発の内容となっています。1-2節は、不正な権力者への怒り。3-5節は、不正な権力者の姿。6-9節は、正しい裁き主への訴え。10-11節は、正しい者の勝利。1節にある「力ある者」とは、直訳すると、「黙っている者」です。つまり、語るべき時に語らない、不正を告発しない裁判官を意味しています。2節の「いや」とは、「そんなはずがない」という意味です。つまり、不正は明らかであるというのです。3節の「悪者ども」とは、不正な裁判官や権力者のことです。4節の不正な裁判官は権力をヘビの毒のように用いる者であり、しかも、耳の聞こえないコブラのようであり、故意に自分の耳をふさぎ、正しい訴えに対して耳を貸さず、自分の奥にある良心の声にも耳を傾けず、神の声にも耳を傾けない、危険極まりない存在です。6節の「彼らの歯」とは、毒蛇の毒牙のころです。また、若いライオンの牙をも意味しています。この悪しき者たちの不正な権力を打ち砕いて下さい、という願いです。7節では、雨季にだけ流れ、乾季になると乾いて消えてしまう川(ワジ、涸れ川)のように消え去るようにとの願いです。8節では、当時、体を溶かしつつ、やがてとけ去ってしまうと考えられていたカタツムリのように、また、死産の子のように、悪者たちが消え去ることを願っています。不正を行う者たちが自滅するようにとの願いです。9節の「釜」とは悪者たちの計画のことであり、「いばらの火」とは計画の実行を意味しています。釜の中のなまもの、つまり、悪者の計画も、いばらの火、つまり、実行中の悪巧みも、すべて主の裁きにより吹き払われるようにと願っています。10節と11節で、正しい者の勝利を宣言しています。「報い」とは果実があるという意味で。正しい者は正当な報いを受け取るという信仰の表明です。
今日の聖書箇所から教えられることは、たとい耳をふさいでいるコブラのような不正な権力者であっても、必ず、主が正しく裁いて下さる、ということです。私たちも、すべてを御存じである主に委ねて、必ず、報いがあることを信じて、不平不満をいうことなく、すべてのことについて感謝する一日を過ごしましょう。
今日は、クリスマスイブです。クリスマス、おめでとうございます。主の平安と喜びが、ご家族の皆様と共にありますように!!!
ところで、1968年12月24日の夜のことでした。米国の宇宙飛行士3人は、宇宙船から地上に向けて特別のメッセージを送ってきました。それは、創世記1章の個所を3人で、分担して朗読したものでした。一人目は、「初めに神が天と地を創造した」。続けて、二人目が「神は光を昼と名付け、闇を夜と付けた」と朗読し、三人目が、「神は乾いたところを地と名付け、水の集まったところを海と名付けられた。神はそれを見て良しとされた」。こうして創世記1章のことばが、宇宙から地球に届いたのです。
清宣教師