明けましておめでとうございます!!
詩篇66篇は、国家的な危機から解放されたあとの感謝の歌であるといわれています。この詩篇の中心は、6節の「さあ、私たちは神にあって喜ぼう」です。1~4節は、全地への賛美の呼びかけ。5~7節は、イスラエルに示された神の力。8~12節は、神の民、イスラエルの使命。13~15節は、王の捧げ物。16~20節は、王の証言と招き。1節の「全地よ」という呼びかけは、神の世界的な支配を告白するものです。2節の「御名の栄光」は、最近の出来事によって示された神の力と救いのことです。具体的には、ヒゼキヤ王の時代、アッシリヤに包囲された時、主の介入によって奇蹟的に解放された救いを歌っていると思われます。3節の「なんと恐ろしい」とは、神が示された驚くべき救いのみわざのことです。4節の「ほめ歌」とは公的な礼拝での賛美。5節の「さあ、見よ」は、人の力を超えて働く不思議な神のみわざを見よ、という意味です。6節の「海を変え」とは、出エジプトの際に紅海が真っ二つに分かれた事、「川の中を歩いて」とは、ヨルダン川が上流で堰き止められてイスラエルの民がカナンの地に入ったことを指しています。7節の「とこしえに」とは、過去の神ではなく、今も納めておられる神。8節の「私たちの神」とは、イスラエルを選び、訓練した神。9節の「いのちのうちに保ち」とは、神のことばによって養って下さったこと。10節は、イスラエルの民は試練によって鍛えられたこと。11節の「網」、「重荷」とは外敵の侵入という神の罰をさしています。12節は、敵による攻撃と国家的な危機。13節の「私は」とは、民の代表としての王。14節の「私の苦しみ」とは民の代表としての王の苦しみ。16節の「私のたましいになさったこと」とは、王と神の民に対する救いのみわざ。
今日の聖書箇所から教えられることは、どんなときも、「神にあって喜ぼう」ということです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第1、テサロニケ、5章16節~18節)。この新しい1年をいつも、このみことばを心に留めたいと思います。
そして、私たちの祭壇を新しく築きなおしましょう!!!
清宣教師