新年の二日目です。みことばをいただきましょう!
ユダヤ教では、この詩篇67篇は、安息日が終了するときに歌われる詩篇として、祈祷書に載っています。キリスト教の教会では、「神の教会は諸国の祝福の種である」ことを表している詩篇として理解しているようです。詩篇67篇1節は、民数記6章24節―26節に記されている「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」という『大祭司の祈り』の要約です。1節と2節で、イスラエルの民が地の祝福の種としての働きを果たすために、神が祝福の光を十分に種に与えて下さるように願っています。それは、諸国の民が神の救いを知り、体験することが出来るためです。3節と4節では、「国々」、「国々」、「国民」、「国々」、「地の国民」、と繰り返すことにより、地上に神の国が拡大されるようにとの祈りを捧げています。神の支配により、全人類が、公平と平和と幸福を喜び楽しむことができることを示しています。5節は3節の繰り返しになっていますが、3節では祈り(願い)として記されていますが、5節は、その祈りが聞かれたという確信の表現です。6節では、「地はその産物を出しました」、と記されていますが、これは神の祝福の証拠であって、霊的な祝福であり、物質的な祝福でもあります。イスラエルが正しく成長し、花を咲かせ、実を結ぶときに、国々の国民は、「この偉大は国民は確かに知恵のある、悟りのある民だ」(申命記4章6節)というのです。7節は、地の果てまでも、神の救いと祝福が及ぶようにとの祈りです。
今日の聖書箇所から教えられることは、私たちクリスチャン(教会)も、いま、私たちがおかれている場所で、福音の光を輝かせることです。西多賀教会がリバイバルの拠点となり、日本の国民が、創造主を知り、創造主を礼拝する民へと変えられますように。
その実現のために、私たちの祭壇を新しく築き直しましょう!!!
清宣教師