今日の詩篇の時代背景ですが、イスラエルの首都エルサレムの荒廃(1節)、外国の民の侵入(1~7節)、囚われ人のうめき(11節)という内容から、バビロン捕囚の時代に書かれたと考えられています。そして、1~4節:エルサレムの荒廃の嘆き。5~12節:回復を求める祈り。13節:感謝と賛美の喜びの誓い。このように3つに区分されます。1節では、紀元前587年、イスラエルの国土と民とが、バビロン軍によって徹底的に蹂躙された状況が痛々しく、述べられています。2~3節は、死体が埋葬されないままに放置されていること。4節は、生き残ったものたちも、決して幸せではなく、周囲の国々からの嘲りと屈辱を与えられたこと。5節は、この混乱と神の怒りは、際限なく続くように感じられること。6節~7節は、確かにイスラエルの不信仰は責められても当然であるが、それにしても、神の民を苦しめた異邦の民たちを裁いてくださいという願い。8節は、バビロン捕囚は、イスラエルの民が繰り返し犯してきた罪の結果であり、先祖たちの咎への報いであるが、主が憐み深いお方なので、先祖たちの咎を思い出さないで下さい、という願い。9節は、主の前に、お願いできる立場ではないが、ただ、御名の栄光のために、私たちを救い出してください、と願う。10節は、創造主なる神、イスラエルの神を認めない者たちは、誇り高ぶり、「彼らの神はどこにいるのか」と言って、主を侮っているので、主がこれらの国々に報復して下さるようにとの願い。11節は、捕囚になった民は、捕囚の地でも主の民であることに違いないのです。どうぞ、主よ。「捕らわれ人のうめきが御前に届きますように。あなたの偉大な力によって、死に定められた人々を生きながらえさせてください。」と切に祈るのです。12節は、敵国への報復を求める祈り。13節は、この詩人の最大の望み、もう一度、すべての国々の前で、大声で主なる神をほめたたえることが出来るように願い求めています。
今日の聖書箇所から教えられることは、悔い改めの重要性です。悔い改めだけが、新しいスタート地点となるのです。きょう、心に残っている罪がありましたら、罪を悔い改めて、新しい出発をしましょう。
清宣教師